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2016/03/13 アラタメ


カナモジカイ

わたしたちは うったえる

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《 カナモジ運動がめざすもの 》

 わたしたち、カナモジカイは、日本語の書き表わし方について考え、そのあるべき姿を実現するために運動しています。

 日本語を書き表わすのには、通常、漢字とカナが用いられていますが、漢字の数の多さや使い方の不合理さ(一つの漢字に読み方がいくつもあるなど)のため、日本語の表記法は、世界に類例のない複雑なものとなっており、さまざまな災いをもたらしています。

 戦後の国語改革によって、国民の読み書きの力は大きく向上しました。また、めざましい技術革新によって、コンピューターなどで漢字を扱う技術も飛躍的に進歩しました。しかし、わたしたちは、これで問題が解決されたとは考えていません。その理由を次に述べます。

1.漢字は、日本語を正しく書き表わすことのできない不完全な文字です。

 例をあげましょう。「私」という漢字は、「わたし」とも「わたくし」とも読めます。「明日」は、「あす」とも「あした」とも「みょうにち」とも読めます。どれが正しい読みなのかは、それを書いた人にしか分かりません。「わたし」「わたくし」、「あす」「あした」「みょうにち」は、それぞれ意味は近くても別のコトバですから、それらを区別できるように映し出すことができなければ、文字としての役割を果たしているとは言えません。

2.漢字は日本語の伝統を破壊しました。

 日本では、外来の漢字・漢語をありがたがり、本来の自分たちのコトバである大和言葉(和語)を軽んじてきたため、多くの大和言葉が滅び、漢語に取って代わられました。

 漢字は、生き残った大和言葉にも大きな爪あとを残しました。「くさい」と「くさる」、「おもい」と「おもな」は、本来は派生関係にあるコトバですが、シナ語(中国語)にならって、「臭い」「腐る」、「重い」「主な」と、異なる漢字を当てて書き分けるため、それぞれのコトバの関係が見えなくなり、その結果、コトバの本当の意味も分からなくなりました。

3.漢字は、日本語の発達を妨げてきました。

 日本語は、長い間漢字に依存してきたため、目で見れば意味が分かっても、耳で聞いて分からない漢語が、とりわけ専門分野で、安易に作られてきました。(「ぼうお=防汚」「ほうちょう=放鳥」「はいのう=廃農」など) そして、今も作られ続けています。また、漢字の音はきわめて限られたものであるため(2拍目の音がイ、ウ、キ、ク、チ、ツ、ンの7種しかない。)、漢語の多くは同音異義語となってしまいます。

 その結果、字で説明しなければ相手に通じないこともしばしば起こることとなり、話しコトバとしての力が弱まりました。

 また、本来の日本語(大和言葉)による造語法の発達が妨げられ、「カタカナ語」が氾濫する原因の一つともなりました。

 耳で聞いて分からないコトバでも、字を見れば意味が分かるから漢字は便利だ、などと考えるのは、逆立ちした考え方です。耳で聞いて分からないコトバをはびこらせた元凶が漢字なのです。耳で聞いても、目で見ても、同じように分かりやすいコトバであってこそ便利と言えるのです。

4.漢字は、コトバの弱者を生み出しました。

 目の障がいなどによって、漢字を学ぶことが極めて困難な人びとがいます。

 耳で聞いて分からない、したがって、点字(これはカナと同じく表音文字です。)で読んでも分からない、おびただしい数の漢語は、目の不自由な人びとを悩ませています。

 また、漢字が日本語に欠かすことができない文字であるかのように主張することは、目の障がいなどで漢字を使わない人びとを日本語の使い手として認めていない、ということです。日本語は、漢字が使える人びとだけのものではありません。

 現状では、このことがほとんど認識されておらず、バリアフリー化の進む現代社会において見逃されている課題です。コトバのバリアフリー化を進めなければなりません。

5.漢字は、教育の上で重荷となっています。

 戦後の国語改革も、漢字の数の多さや使い方の複雑さによる学習の難しさをいくらか和らげたに過ぎません。そのため、本来はコトバそのものではなく、その器であるはずの文字の学習(その大部分は漢字の学習です。)が重い負担となっています。学校での「国語」の学習では漢字の学習がかなりの比重を占めます。しかも、それでも足りずに、漢字検定(英語検定などと異なり、文字だけの検定)などというものが行われています。また、「国語」だけでなく他の教科でも、歴史上の人物の名など、漢字で正しく書けることが求められています。

6.漢字は、外国人にとっても大きな壁となっています。

 日本語は、発音も文法も決して難しいコトバではなく、日本語を学んだ外国人は、話すだけならそれほどの苦労はいらない、と言われます。が、書きコトバでは漢字が大きな壁となっています。専門職の訓練を受けた外国人が、実務能力は十分あっても漢字の壁を乗り越えられず、筆記での資格試験に合格できないために、日本の社会への参加が閉ざされさえしているのは、彼らを失望させるだけでなく、日本にとっても大きな損失です。また、日本の学校で学ぶ外国人の子どもが日本語を身につけることができずに落ちこぼれていくのが、深刻な社会問題になっていますが、漢字の難しさがその原因の一つであることは疑いようもありません。

7.漢字は、社会生活の能率を低いものにしています。

 コンピューターなどで漢字を扱えるようになったとは言っても、ローマ字やカナから変換する作業が必要であり、事務能率を低いものにしています。

 また、漢字を使いこなすことは難しく、書き間違いや変換ミス、読み間違いがしばしば起こります。同じ訓の使い分け(変える? 替える? 代える? 換える?)や送りガナの付け方(問合せ? 問合わせ? 問い合せ? 問い合わせ?)など迷うことも少なくありません。これは、労力と時間のムダです。

 漢字の害毒は、これだけにとどまりませんが、ここでは省きます。

 漢字がこのような災いを日本語にもたらした原因は、漢字が表意文字 (より正しくは表語文字)であることと、本来、日本語とはまったく系統の異なるシナ語を書き表わすために作られた文字であって、日本語を書き表わすのは土台無理なことなのだ、ということにあります。

 わたしたちの目的を手っとり早く言えば、日常生活では漢字を廃止することによって、日本語の書き表わし方を合理化し、かつ固有の伝統を守り、本来の生命力を花開かせることによって、日本語をより表現しやすく分かりやすいコトバにしていこう、ということです。言いかえれば、日本語をシナ語から独立させるとともに、民主化しようということ。もっと短く言えば、日本語を愛し、大切にしていこう、ということです。(このことは、漢字の持つ歴史的価値を否定するものではありません。)

 この目的を実現するため、わたしたちは、日常生活での日本語の書き表わし方をステップを踏んで改革して行き、最終的にはカナだけで文章を書く時代をつくることを唱えるとともに、カナだけで書いても読みやすいデザインの書体を作り普及させるなどの活動をしてきました。(日本語を表わす文字としてローマ字専用を主張する人びともいますが、ローマ字は、日本語を書き表わすのにふさわしい文字ではありません。)

 カタカナを使うべきか、それとも、ひらがなを使うべきか、二つの意見がありますが、これは大きな問題ではありません。まずは、漢字に頼らない日本語を育てていくことが大切です。皆さんもぜひとも、わたしたちの理念を理解し、運動に加わってください。




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