「カナノヒカリ」 896、898、900、901ゴウ (1998ネン 2、6、10、12ガツ)

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「漢字」は「Chinese character」である

                                             キクチ カズヤ 


   
  (マチを あるきながら)

 ナミエ: この アタリには 外国人が やって いる オミセが おおいけど、どの オミセの ヒトも 日本語が ジョウズね。
 カナオ: イマでは 日本語を リュウチョウに はなす 外国人など めずらしく ないけれど、ヨミカキ まで 自由に こなす ヒトは そう おおく ない ようだよ。
 : 外国人が 漢字を おぼえるのは やはり 大変なんでしょうね。
 : 外国人の ための 日本語の 教科書や 独習書が ズイブン でて いる。英語で かかれたのを ナン冊か みて 気が ついたんだけど、「漢字」を「Kanji」と 表記して いる ものが おおい。「漢字」 は 英語では「Chinese character」または「Chinese ideograph」と いう ものだと おもって いたので 意外だった。
 :「Chinese character」なんて ながったらしいし、日本語を ならいはじめれば「カンジ」と いう コトバは すぐ おぼえるんだから「Kanji」で いいんじゃ ないの。それに「Japanese」の 学習書に「Chinese character」などと いう コトバが でて きたら 読者を とまどわせるんじゃ ないかしら。
 : 和英辞典で「漢字」の 訳語を しらべて みたら、「Chinese character (ideograph)」と ならんで「Kanji」が のって いる ものが おおかった。だだし、「Kanji」は イタリックに なって いる。
 : イタリックに なって いるのは、説明を くわえないと ソノママでは 外国人には ツウじないと いう ことね。
 : 「Kanji」では まるっきり 通用しないかと いうと、そう いう ワケでも ないようで、『Concise Oxford Dictionary』には 以前の 版から「Kanji」が のって いる。説明は、「Japanese writing using Chinese characters」と ある。
 : 文字 ソノモノは「Chinese character」で、ソレを もちいた 表記法を「Kanji」と いうと いう こと かしら。実際に そのような ツカイワケが されて いるのかは 疑問ね。
 :「Kanji」が「Chinese character」より このまれて つかわれて いる 理由なんだけど、サッキ キミが あげた ホカに、日本人には 漢字が China 伝来の もので あると いう 意識が うすい と いう ことが あると おもう。「漢字」の「漢」とは「漢民族」で ある ことが イマでは あまり 意識されて いなくて、「漢字」ソノモノを あらわす ものと おもわれて いる。
 : タシカに 漢字が うまれたのは 中国だけど、漢字を つかって いるのは 中国語だけでは ないでしょう? 現に 日本語で つかわれて いる 文字だから「Chinese character」なんて いわなくても いいと おもう。漢字は「Japanese character」でも あるんだから。
 : 漢字が「日本語の 文字」で ある と いうのは、日本語の 通常の 表記法が 漢字カナマジリで あると いう 意味では その とおり なんだけれども、はたして そう よばれるのに ふさわしい ものなのか どうか。ボクは おおいに 疑問を もって いる。
 : おかしな ことを いう ヒトね。漢字は 日本文化の 発展に おおいに 貢献して きたし、日本人の 精神活動の 支柱とさえ いえると おもうわ。それに 漢字には 意味が あるから アジワイが ふかい。「奈美恵」と いう ナマエは「美しさ」に「恵まれて」いる ワタシに ふさわしいと おもわない?
 : キミの いう とおり 漢字 1字 1字には 意味が ある。でも「美」と いう 字が どうして「うつくしい」と いう 意味を もつか しって いるかい?
 : ……………。
 : この 字は「羊」と「大」を くみあわせた もので、「大きな羊」をあらわす。そこで、かんがえて ほしい。イッタイ「大きな羊」を あらわす 文字に「うつくしい」と いう 意味を あたえる ことが 日本人の 感覚に そうだろうか。「美」と いう 字に「羊」が ふくまれて いるのは、ヒツジが もっとも タイセツな 家畜で あった 中国の 社会を 反映して いるんだ。
 この 字に「うつくしい」と いう 意味が あたえられたのは、「大きな羊」は カタチが よいと されたからだ と いう 説も あるが、モトは「うまい」と いう 意味だったと いう 説も ある。「大きな 羊」つまり ふとった ヒツジは たべると うまいからだ と いう。キミの ナマエの「美」は コッチの 方の 意味じゃ ないかな。
 : そう でしょうよ。ワタシは お肉も 脂肪も タップリ ついて いますよ。
 でも、タシカに「美」と いう 字には「おいしい」と いう 意味も あるわね。「美食」とか 「美味」とか いう コトバが あるものね。
 :「美」には ホカに「ほめる」とか「立派な」とか いう 意味も あるよ。「美」と いう 字を 「うつくしい」と よむ ように、漢字に 本来の 日本語を あてて よむのを 訓と いうが、訓は 漢字の 意味の 一部を しめすに すぎない。
 漢字と いう ものは、中国語を かきあらわす ために うまれた 文字だから、1字 1字が 中国語の コトバ(単語)に 対応して いる。だから、漢字の もつ 意味の 範囲は、中国語とは 一致するが 本来の 日本語とは 一致しないんだ。
 問題を もう ヒトツ。「服」と いう 字の 意味は?
 : きる モノ。洋服とか 和服とか。
 : そうだけど、「服従」とか「服薬」とか いう 場合の「服」は「きる モノ」と どう いう 関係が あるの?
 : わからないわ。
 :「服」と いう 字には「ピッタリ つく」と いう ひろい 意味が ある。カラダに「つく」のが きる「服」。「つき」したがうのが「服従」。クスリを カラダの ナカに「つける」のが「服薬」。と いう ワケで、一見 意味の ツナガリの ないように みえる コトバに「服」と いう 字が 共通して つかわれて いるのには ちゃんと した 理由が ある。ただし、これは 中国語の 発想。
 この 場合は、字に 訓を あてるのでは なく、字音を つかって いる ワケだけど、こう いう 場合でも 字の 意味の ヒロガリや 用法は 日本語の 発想とは かけはなれた ものが あると いう ことが わかるだろう。
 : そういう 面も あるかも しれない。でも 漢字には 民族や 言語を 超越した 普遍的な 面も あると おもう。たとえば「木」や「魚」と いう 字は モノの カタチを そのまま あらわした 象形文字でしょう? 「き(木)」は どの 民族に とっても「き」だし、「さかな」も どの 民族に とっても「さかな」じゃない。こういう 基本的な 意味を もたせた まま ホカの 字と くみあわせて つくった 字も 相当 あるでしょう? たとえば、「木」や「魚」は、ナニに 関係するのかを しめす 偏などと しても つかわれる。「木」に「風」を くみあわせた「楓」、「南」を くみあわせた「楠」などは 「き」の 種類を あらわして いる ワケで、これは 合理的だと おもうけど。
 : ミギガワの「風」や「南」には どう いう 意味が あるの?
 : この バアイは 音を しめして いるんでしょうね。「楓」は 音ヨミでは「フウ」、「楠」は「ナン」と いうんだと おもう。
 : その「フウ」とか「ナン」とか いうのは ナニ?
 : だから、字の 音じゃない。 
 : サッキ いったように 漢字は 中国語の コトバを あらわした ものだから、漢字の 音とは すなわち 中国語の コトバの 発音なんだ。イマの 例で いうと、ソレゾレの「き」を 中国語で「フウ」、「ナン」と いうから、「風」、「南」を その 音を しめす 音符として 字に ふくませて いる ワケだ。中国語の 音だから、「フウ」とか「ナン」とか いっても 日本人には ナンの ことやら わからない。漢字の 音や 音を しめす 字形は、中国語に とっては 意味が あるが、日本語に とっては ナンの 必然性も ない。
 それに、中国の「楓」も「楠」も 日本の カエデや クスノキとは ちがう キだと おもうよ。 
 漢字の 音に ついては しって おいて もらいたい ことが まだ ある。「来」と いう 字の 意味は しって いるよね。
 : モチロン。「くる」と いう 意味じゃないの。
 : でも、モトモトは ムギの ミの みのった スガタを あらわす 象形文字 なんだ。「麦」と いう 字とは 関係が ふかい。
 : それが どうして「くる」と いう 意味に なったの?
 : 中国語の「くる」と いう 意味の コトバが「ムギ」と いう 意味の コトバと おなじ 音だった ため、本来「ムギ」を あらわす「来」と いう 字で「くる」と いう 意味を あらわす ように なった。字の モトの 意味を はなれて 表音文字として つかわれて いる ワケで、こういうのを 仮借と いう。こう いった ことも まったく 中国語の ツゴウで そう なった ワケで、日本語に とっては ナンの カカワリも ない ことだろう。
 漢字は、字形、字義、字音の 3つの 要素を ふくむと いわれるが、その イズレも 中国の 言語や その 背景に ある 中国の 文化と 不可分の 関係に あるんだ。
 : アナタは 漢字が 中国で うまれた ことを ヤタラに 強調する けれども、だから どうだと いうの?
 ムカシ、日本が はるかに すすんだ トナリの 大国 中国の 文化を 輸入したのは まったく 当然の ことだし、漢字 だって そう。日本語は 文字を もって いなかったから、漢字を とりいれたのは 自然な ことでしょう。外国の ものを 器用に とりいれて きたのが 日本の 文化なんだから。
 ワタシタチが 漢字を つかう バアイ、イチイチ その 由来や ナリタチを かんがえて つかって いる ワケでは ないでしょう。大事な ことは、漢字が 日本語の 文字として 消化され、立派に 機能を はたして いる、そういう 現実だと おもうわ。
 : いや、ボクが 問題に して いるのは、まさに 現実に おこなわれている 漢字を つかう 日本語の 表記法なんだ。イマまで ボクが 漢字と 中国語の 関係を はなして きたのは、そこに 漢字の 問題の 根源の ヒトツが あるからだ。
 :「漢字の 問題」って、一体 ナニが 問題だと いうの?
 : キミは 漢字は 日本語の 文字として 消化され 立派に 機能を はたして いる と いった けれども、ボクは そうは おもわないんだ。日本は 外国の 文化を とりいれて きたと いっても、日本の 社会に なじまない ものまで そうした ワケでは ない。しかし 漢字の 場合は どうだったか。
 結論を サキに いうと こうだ。イマまで はなして きたように、漢字には 中国語の 特質が きざみこまれて いる。だから 中国語とは まったく 系統の ことなる 日本語には 本質的に なじまない。 日本語に なじまない ものを 無理やり 移植した ために 毒素と なって 日本語を おかし、ヒン死の 重病人に して しまった。
 日本語は 文字を もたなかったから、漢字を 輸入して シバラクの アイダ 漢文や 漢文の くずれた ものを もちいたのは、そうするしか なかった ワケだが、カナ文字と いう 日本語を かきあらわすのに 適した 文字が うみだされてからも 漢字を つかいつづけた ことが 日本語を 不幸へ みちびいたんだ。

 ナミエ: 漢字は 日本語に なじまない ですって? タシカに 中国から つたわった ままの 漢字では 日本語を 自在に かきあらわす ことは むずかしかった かも しれない。でも、漢字を 日本語に 適合させる ことが できたからこそ イマに いたるまで 漢字を つかいつづけて いる ワケじゃ ない。漢字を どう 適合させたかと いうと、訓を あてる ことで 日本語を 簡単に かきあらわす ことが できるように なったと いう ことね。そして、カナと まぜて かく ことで 日本語の 語順ドオリに 文章が かける ように なった。
 カナオ: それで 本当に 漢字が 日本語に 適合したなどと いえるんだろうか。
 まず 訓ヨミを オトの 面から かんがえて みよう。漢字の 音とは 中国語の コトバの 発音だと いう ことは サッキ はなしたよね。いうまでも ない ことだけど、中国語と 本来の 日本語(ヤマトコトバ、和語)とでは オトが ちがう。日本語の「つくる」に あたる 意味内容を 英語では 「メイク(make)」と いい、(ムカシの)中国語では「サク(作)」と いった。言語が ちがうんだから、あらわす モノゴトが オナジでも コトバ つまり オトが ちがうのは アタリマエだね。
 訓ヨミが おこなわれる ように なった と いう ことは ヒトツの 字に 音 すなわち 中国語の オトと 訓 すなわち 日本語の オトの 2系統の オトが あてられるように なったと いう こと。しかも 音ヨミも 訓ヨミも 1トオリだけとは かぎらない。こう いう 複雑な 字の ツカイカタを するのは 日本語だけだ。
 : 韓国・朝鮮語でも 漢字を つかって いるでしょう?
 : そう。でも 韓国・朝鮮語では 訓ヨミと いうのは ない。音ヨミ だけ。もっとも 北朝鮮では イマは 漢字は つかわずに ハングル だけを つかって いる。韓国でも 日本ほど おおくは つかわない。
 : そうなの。
 : ヒトツの 字に 音ヨミと 訓ヨミが あると いう だけでも 複雑なんだけど、訓ヨミには もう ヒトツ とても 不便な ところが ある。それは、字を みただけでは、どの ように よんだら いいのか わからない と いう ことだ。
 : それは アタリマエね。漢字は 表意文字なんだから。カナや アルファベットの ような 表音文字とは 根本的に ちがうのよ。
 : ところが そうと ばかりも いいきれない。なぜなら 音ヨミなら 字形から ヨミカタが わかる バアイが あるからだ。タシカに「木」や「魚」と いう 字は 象形文字で まさに 表意文字だから、字形 から ヨミカタが わかる ワケでは ない。だけど 漢字の おおくは 形声文字と よばれる もので、意味を あらわす 部分と 音を あらわす 部分が くみあわされた ものだ。さっき キミが あげた「楠」や「楓」が これに あたる。音を あらわす 部分が あるから、表音文字と しての 要素も あわせもって いる。しって いる 字の 音を モトに、ホカの 字の 音を 類推できる バアイが ある。つまり 応用が きく。
 : そうね。「白」を「ハク」と よむ ことを しって いれば、「伯」「拍」「泊」「舶」「迫」と いった 字の 音も わかる ものね。
 : ところが 訓ヨミの バアイは 字形には ナンの テガカリも ふくまれて いない。「泊」と いう 字を いくら ながめても、「とまる」と いう オトは みえない。だから 訓は 1字 1字 おぼえなければ ならない。 
 それだけじゃ ない。イクトオリもの 訓の ある 字が ある。反対に イクツもの 字が おなじ 訓を もつ バアイも ある。どういう バアイに どういう ヨミカタを するかと いう ことも コトバごとに おぼえなければ ならない。
 中国語では 漢字の 約9割は ヨミカタが 1トオリしか ないし、イマ いった ように 表音性が あって 字 ソノモノが 中国語の オトを あらわす ことが おおいから、日本語で 漢字を つかう ときの ような ワズラワシサは ない。日本語での 漢字の ツカイカタを おぼえるのには 漢字の 本家で ある 中国語に くらべ 何倍もの、いや それ 以上の 労力が いる。漢字が 日本語に とって つかい やすい 文字で あるとは とても いえない だろう。
 : でも それは しょうがないんじゃ ない? 日本語での 漢字の ツカイカタが 中国語や 韓国語よりも むずかしいと しても、現に こういう ツカイカタを している 以上、漢字を 習得する 努力を おしむ ワケには いかない。
 : 努力と いうのは 価値の ある ものに 対して するべき ものだ。漢字の 訓ヨミと いうのは 不合理な もので あって、日本語に とって 価値の ある ものとは いえない。もっと いえば 有害な もの なんだ。
 : どうして そんな ことが いえるの?
 : こんどは 漢字を 意味の 面から かんがえて みよう。イマ 日本語の「つくる」と 中国語の「サク(作)」が おなじ 意味内容を もつような イイカタを したけど、これは 正確な 表現では なかった。「つくる」と「サク(作)」とは 意味が かさなりあう 部分が ある と いう ことで、まったく おなじ 意味と いう ワケでは 決してない。言語が ちがえば コトバの 意味の ヒロガリも ちがう。
 日本語の「つくる」に 一番 ちかい 英語は「make」だろう けど、「つくる」イコール「make」では ないだろう?「make tea」は「茶を『つくる』」では なくて「茶を『いれる』」と 訳すし、「make trouble」は「サワギを『つくる』」のでは なく「サワギを『おこす』」だろう。同様に、「つくる」イコール 中国語の「作」では ない。
 : それは そうかも しれない。
 : だから、「つくる」を「作る」と かくのは「つくる」に ちかい 意味の 中国語を あてた と いう ことで あって、「つくる」と いう コトバの 意味 ソノモノを あらわした ものとは いえない。「つくる」を「作る」の ホカ「造る」「製る」「創る」などと かきわけるのは その ためだ。こういうのを 異字同訓と いうんだけど、これは カキワケが むずかしくて 不便だ と いう だけで なく、日本語を ゆがめる ことに なる。日本語としては ヒトツの コトバなのに 中国語と いう 外国語の コトバヅカイに したがって かきわけると いう ことだから。
 : でもね、異字同訓にも いい 点も あると おもうんだけど。それは 意味を より 厳密に あらわす ことが できる ことね。詩を「つくる」のと フネを「つくる」のでは おなじ「つくる」でも ニュアンスの チガイが ある。詩を「つくる」バアイは「作る」、フネを「つくる」バアイは「造る」と かきわければ その チガイが ハッキリするでしょう?
 : もし「詩を『つくる』」のと「フネを『つくる』」のを かきわけなければ ならないと したら、「コメを『つくる』」のも「規則を『つくる』」のも「ワライガオを『つくる』」のも スベテ ちがう 字を つかって かきわけなければ ならない だろう? 
 : ………。
 : 日本語の「つくる」と いうのは これら スベテの 意味を ふくんだ コトバなんだ。ボクの シリアイで ツクリザカヤを やって いる ヒトが いる。この ヒトは ハタケも もって いるんで、「サケも 野菜も『つくる』」。普通、サケを「つくる」のは「造る」、野菜を「つくる」のは「作る」と かきわけるけど、この バアイは ドチラの 字を つかったら いいんだろう?
 : うーん。カナで かくしか ないのかな。
 : カナで かけば どの 字を つかおうかと まよう ことは ない。と いうより カナで かいてこそ 日本語の「つくる」と いう コトバを ただしく あらわす ことが できるんだ。「つくる」は「作」とも「造」とも「make」とも ことなる 独自の 意味の ヒロガリを もった コトバなんだから。
 たとえ ナニを「つくる」かに よって ニュアンスの チガイが あると しても、それは「詩を つくる」、「フネを つくる」と いえば、「詩」なり、「フネ」なりと いう コトバ 自身が しめして いるじゃ ないか。
 それに もう ヒトツ 大事な ことは、たとえ 字で かきわけた ところで ハナシコトバでは 役に たたないと いう こと。はなして いる ときは 字は みえないんだから。
 イマ はなして きたのは おなじ 訓を 複数の 漢字で かきわける バアイだけど、ツギに この 逆で ヒトツの 漢字に イクツもの 訓が ある バアイを かんがえて みよう。
 : そう いう 字も すくなく ないわね。「冷」と いう 字が そうね。「つめたい」「ひえる」「さめる」……。 
 : そう そう。「つめたい」「ひえる」「さめる」は 日本語としては 別の コトバだよね。それを「冷」と いう おなじ 字で あらわす。これも 日本語と 中国語の コトバの 意味の ヒロガリの チガイから くる ムジュンだよ。
 : でも、おなじ 字を つかっても ヨミカタが ちがうから 別の コトバだと いう ことは わかるわよね。不合理と いえば そうかも しれないけど、実害は ないんじゃ ない?
 : じゃあ「後」は どうかな。
 : この 字も イロイロな 訓が あるわね。「うしろ」「あと」「のち」「おくれる」。
 :「5年後」は?
 :「5年あと」、「5年のち」。音ヨミなら「5年ご」。イクトオリにも よめるわね。これは 不合理だと いいたんでしょうけど、どう よんでも 意味は オナジじゃ ない?
 : でも ニュアンスは ちがうだろう?「あと」「のち」は 日本語として 別の コトバなのだから、それを 字の ウエに うつしだす ことが できなければ 文字の 役割を はたして いるとは いえない。要するに、漢字では 日本語を ただしく あらわす ことが できない。いいかえれば、漢字とは 日本語を かきあらわす 文字としては 不完全な ものだ と いう こと。この ことを ハッキリ あらわす 例を もう ヒトツ あげようか。「私」と いう 字。
 : 訓は「わたし」。あ、そうか。「わたくし」とも よむわね。
 :『常用漢字表』では、「わたくし」と いう 訓だけが みとめられて いるんだけど。
 : そうなの。しらなかった。
 : 大概の ヒトは しらないだろうね。普通「わたし」とも「わたくし」とも、よんで いるよね。でも「わたし」と「わたくし」とは まったく おなじ 意味では ない。
 :「わたくし」の 方が あらたまった 感ジね。
 : その チガイが「私」と かいたのでは あらわせない。「わたし」と よむのか「わたくし」と よむのか わからないんだから。おなじく「わたし」が くずれた「あたし」や もっと くずれた「あたい」、それに「あっし」、「わっち」なんて いうのも 漢字では かきわけられない。
 : でも、ヨミワケが 必要な バアイは フリガナを ふると いう 方法が あるじゃない。
 : それも ヒトツの 解決方法には チガイない。でも「私」に「わたくし」と フリガナを ふったと するよね。この バアイ、「私」と いう 漢字の 意味内容は「わたくし」と いう フリガナで あらわされて いる ワケ。だから「私」と いう 漢字は いらない。
 : ならば、ハジメから「わたくし」と カナで かけば いい と いう ワケね。
 : 日本語を カナで かかなければ ならない 理由は まだ ある。それは、文法の 面から みても 漢字と 日本語の アイショウは とても わるい と いう ことなんだ。中国語と 日本語の 文法の チガイは タクサン あるけれど その ヒトツは、日本語には 中国語と ちがって 活用が ある と いう ことだ。
 : 活用?「つくらない」「つくります」「つくるとき」「つくれば」「つくろう」。
 : そう、その 活用。それに 動詞から 名詞を 派生させたり する 規則も ある。だけど、漢字だけでは それを あらわす ことが できない。漢字は 本来 活用の ない 中国語を かく ための 文字 だから。たとえば「生」では「うむ」か「うめ」か「うまれる」か それとも「うまれ」か わからない。
 : それで オクリガナが つかわれるように なった ワケでしょう? オクリガナも 漢字を 日本語に 適合させる ための ものなのよね。「生む」「生め」「生まれる」「生まれ」。オクリガナを つければ ちゃんと 区別 できるじゃ ない。
 : ところが「うまれる」は「生る」か「生れる」か「生まれる」か と いう 問題が ある。「といあわせ」は「問合」か「問合せ」か「問合わせ」か、それとも「問い合」か「問い合せ」か「問い合わせ」か。これは どう かいても 意味は まったく オナジなの だから こんな ことで アタマを なやますのは まったく ムダな こと。
 : でも オクリガナの ツケカタは 規則で きまって いるんでしょう?
 : 国語審議会が つくった『送り仮名の付け方』と いう キマリが ある。でも、これは「許容」と いうのが みとめられて いて、「うまれる」は「生れる」でも「生まれる」でも いい ことに なって いる。それに、これは 個々人の カキカタまで 規制する ものでは ないから 事実上 オクリガナの ツケカタは きまって いない。オクリガナ だけじゃ ない。そもそも ある コトバを 漢字で かくか カナで かくか、漢字で かくなら どの 漢字を つかうか と いった ことにも 絶対的な 基準と いう ものが ない。つまり 漢字の オカゲで 日本語の カキカタが きまらない。 
 : タシカに「うまれる」、「といあわせ」と カナで かけば、オクリガナで まよう ことは ないわね。
 : オクリガナに ついては ホカにも 問題が あるけど ながく なるので 省略する ことに して、コトバの 派生に ついて もう すこし ふれて おこう。
 「ひかり」は「ひかる」から 派生した コトバだから「光」、「光る」と おなじ 字を つかう。これは いい。ところが「こおり」は「こおる」から 派生した コトバで あるのに「氷」、「凍る」と 別の 字を つかう。派生関係に ある コトバは おなじ 字を つかうのが 日本語として 当然だが「こおる」を「氷る」などと かいたら おこられたり わらわれたり する。おかしな ことじゃ ないか。「わたる」と「わたす」は 自動詞と 他動詞の 関係で、対に なって いるから「渡る」、「渡す」と おなじ 字を つかうのは わかる。ところが、「おとる」と「おとす」も おなじく 対で あるのに「劣る」、「落とす」と ちがう 字を つかう。これも まったく 理屈に あわない。 
 : ちょっと まって。「おとる」と「おとす」は 関係が ある コトバだったのね。しらなかったわ。
 : 漢字で かくから 派生関係に ある コトバでも それが わからなく なって しまうんだ。漢字を つかう かぎり 中国語の 語法・文字ヅカイに したがわなければ ならない。だから 派生関係が 文字の ウエに うつしだされずに たちきられて しまう ことに なる。これでも 漢字が 日本語に 適合した などと いえるだろうか。
 : ………
 : と いう ワケで、はたして 漢字が 日本語を かきあらわす 文字として ふさわしい ものか どうかを オト、意味、文法の 面から かんがえて きたんだけど、どの 面から みても 漢字と 日本語との ミスマッチは アキラカだろう。漢字が 日本語に 適合した などとは トウテイ いえない。
 : アナタの いいたい ことが わかって きたわ。訓ヨミには 不都合な 点が ある。だから、漢字の 訓ヨミは やめよう。と 主張したい ワケね。
 : いや、やめなければ ならないのは 訓ヨミだけ じゃない。音ヨミ漢字もだよ。つまり 漢字は 全面的に つかうのを やめなくては ならない。

 ナミエ: 漢字の 訓ヨミだけで なく、音ヨミ漢字も やめなくては いけない ですって? 漢語まで カナで かくべきだと いうの? それは 無理ね 絶対。
 カナオ: 意見を おききしましょう。
 : それはね、漢語には 同音異義語が おおいでしょう? たとえば「コウカン」と 発音する コトバは 交換、好感、鋼管、交歓、高官、向寒、公刊、公館、巷間、後患 …… と タクサン ある。漢字で かくから どの コトバか わかるので、カナで かいたのでは 区別が つかない。
 : キミの いう ことは 半分は あたって いるけど 半分は 見当ハズレだよ。
 : どういう こと?
 : 事実 漢語には 同音異義語が おおい。でも それは 前後関係から 区別が つくじゃ ないか。「意見を コウカンする」と いえば「交換」に きまって いるし、「コウカンを いだく」と いえば「好感」だと わかる。こういう コトバなら ハナシコトバでも 意味を とりちがえられる ことは ない。だから カナで かいても 問題は ない。
 一方、漢字で かかなければ とりちがえられる オソレの ある コトバも ある。「コウガクを まなんで います。」では「工学」か「光学」か わからないし、「コウギョウ カンケイの シゴトを して います。」では「工業」か「興行」か「鉱業」か わからない。「売価」と「買価」、「排外」と「拝外」なんて いうのは オトは オナジでも 意味は 正反対だから シマツが わるい。 
 : そう でしょう? だから 漢字で かかなきゃ ダメ。
 : キミの いうのも モットモの ようだけど、ちょっと かんがえて ほしい。タシカに カキコトバでは 漢字で 区別する ことが できるだろう。でも ハナシコトバでは 区別 できないじゃ ないか。ハナシコトバは ソノバで きえて しまうからと いう 理由で カキコトバだけを おもんじる ヒトも いるが、日常生活は ハナシコトバ なしでは なりたたない ことを かんがえれば、ハナシコトバを かるく みる ことは できないだろう。
 : それは そうね。
 : 字を みれば わかるが ミミで きいたのでは わからない などと いうのでは マトモな コミュニケーションは できない。同音異義語が おおいと いうのは のぞましい ことでは ない。
 ところで、なぜ 漢語には こんなにも 同音異義語が おおいか わかるかい?
 : それは、漢字には おなじ 音の 字が タクサン あるからよ。「コウ」と よむ 字なら 口、工、巧、広、弘、交、光、好、考、坑、孝、江、抗、肯、厚、孔、恒、荒、候、高、耕、康、幸、甲、向、航、港、鉱、酵、公、功、江、行、攻、更、効、洪、紅、郊、香、校、貢、降、……。まだまだ あるわね。
 :「コウ」と よむ 字は 常用漢字だけで 64字も あるんだ。こういうのって 不便だと おもわない?
 : 漢字とは こういう ものだと おもって いたから 特に かんがえた ことは なかったけど ……。
 : タシカに 日本語の 漢字は「こういう もの」だけど 漢字の 本家の 中国では そうでは ない。 
 中国語と いっても 時代や 地方に よって 相当な チガイが あるけど、現代の 共通語(普通話)の 発音では、口は kou、工は gong、巧は qiao、広は guang、弘は hong、交は jiao、光は guang、好は hao、考は kao、坑は keng、孝は xiao、江は jiang、抗は kang、肯は ken、厚は hou、孔は kong、恒は heng、荒は huang、候は hou、高は gao、耕は geng、康は kang ……(声調符号は 省略)。
 日本語では どれも「コウ」だが 中国語では ことなった 発音を する。広と 光は ドチラも guang、抗と 康は kang だけど これも 声調(アクセント)で はっきり 区別される。中国語でも おなじ 音の 漢字は あるけど、日本の それより ずっと すくない。
 : 中国語では ちがって 発音される 漢字が どうして 日本語では おなじ 音に なって しまったの?
 : まず、日本語の オト(音素)が 中国語と くらべて すくない と いう ことだ。わかりやすく する ために、英語からの 外来語の バアイを かんがえて みよう。日本語の オトの 種類は 英語と くらべても すくない。だから、英語の「bus」「bath」「bass」は 日本語式に 発音すると みんな「バス」に なって しまう。
 :「bus」の「u」と「bath」の「a」は 英語の オトとしては ことなるけど ドチラも 日本人には「ア」と きこえるし、「s」も「th」も「ス」に きこえて しまうと いう ことね。
 : 日本語に ない オトの 区別だから 外来語として 日本語に とりいれれば どれも「バス」に なる。
 それと おなじ リクツで 中国語では 区別される オトでも 日本語では オナジに なって しまう。もっとも 漢字が 中国から つたえられて シバラクは 中国語の 発音を 忠実に まねたんだろうけど やがて 日本語の オトの 体系に とけこんで しまった。日本人に 発音しやすく なったと いう 点では 日本語に 適合したと いえるだろうが、その ために 同音語が ヤタラに おおく なったと いう 点では むしろ 日本語に とって 大変 グアイの わるい ものに なって しまった。
 : でも それは 日本語の オトの 種類が すくないと いう ことに 原因が ある ワケで、漢字が わるいとは いえないんじゃ ない?
 : 漢字の 音は ―― すなわち 中国語の コトバは ―― 1音節から なって いる。だけど 日本語には、中国語に ある 二重母音とか 三重母音などと いうのは ないし、子音で おわる 音節も ないから、日本語の 音ヨミでは 2音節に なる ことが おおい。これは 英語の「bus」は 1音節だが 日本語化すると「バス(ba・su)」と 2音節に なるのと オナジだ。
 ところが、中国語の 音節を つくる オトの クミアワセには 中国語 特有の ルールが あって 制限された ものに なって いるので、それを 日本語式の 音に すると 音節の クミアワセは 極端に かぎられた ものに なる。たとえば コで はじまる 音は「コウ(コー)」、「コク」、「コツ」、「コン」の 4ツだけに なって しまって いる。本来、日本語の 音節の クミアワセは こんな 窮屈な ものでは ない。これは 中国語と 日本語の オトの クミタテカタの チガイが 原因に なって いるので、日本語の オトの 種類が すくないと いうだけでは 決して こうは ならない。
 : 日本語の 音節の クミアワセとしては「コ」の アトに どんな オトが きても おかしくは ない ワケね。「コイ」「コエ」「コケ」「コシ」「コチ」「コテ」「コト」「コナ」「コマ」「コメ」………。2音節の 名詞だけを あげて みたけど、漢語で なければ イロイロな オトが くるわね。
 : イマのは 全部 本来の 日本語、ヤマトコトバだね。日本語の オトの 種類が すくないと いっても 音節の クミアワセで 区別する ことが できるから、ヤマトコトバにも 同音異義語が あるとは いっても 漢語ほど おおくは ないし、前後関係で 判断 できない ことは まず ない。カタカナ語だって 同音異義語は 漢語と くらべて ずっと すくない。ところが 漢語の バアイは、漢字の 音節の クミアワセが 極端に かたよって いるので 同音異義語が ヤタラに おおく なる ワケだ。漢字と 日本語の アイショウは かくも わるい。
 : 要するに、同音異義語が おおい ことを もって 漢字を 擁護するのは スジが とおらない。なぜなら そうなった 原因は 漢字に あるのだから。と いう ことね。
 : そう いう こと。
 もう ヒトツ いって おきたいのは、同音異義語で なくても 字を みなければ わからない 漢語は いくらでも あると いう こと。専門用語などは ホトンドが そうだ。このまえ テレビを 画面を みないで きいて いたら「ダンロキ」と いう コトバが くりかえし でて きたんだけど、ナンの ことか わからない。
 :「ダンロキ」ねえ。タシカに 字を みないと わからないわね。
 :「ダン」「ロ」「キ」の 3字から できている コトバだとは 見当が ついても「ダン」と いう 字も「ロ」と いう 字も「キ」と いう 字も タクサン あるから わからない。「暖炉機」かも しれないし、「談露記」かも しれない。画面を みて やっと「断路器」だと わかった。
 漢字の 音は 中国語の コトバを そのまま あらわす もので、1字で 1音節を あらわして いるが、中国語の 音節の 種類は 日本語より ずっと おおい。(現代の 中国語の 共通語では、声調に よる 区別も ふくめ 約1,300種。日本語は 約100種)日本語では 音節の 種類は すくないが、音節の クミアワセで コトバを 区別するように なって いる。そう いう チガイが あるから、中国語を かきあらわす ために うまれた 漢字・漢語を 日本語に とりいれる ことには 無理が ある。その 無理を おして つかうから、視覚に たよらなければ つかえない おかしな コトバに なる ワケだ。
 ボクが 音ヨミ漢字も やめなければ ならないと いったのは 漢字に 依存する イマの 日本語の アリカタを かえなければ ならないと いう ことだ。視覚に たよらなければ つかえない 漢字・漢語は、日本語の ハナシコトバとしての チカラを よわめざるを えないし、現に そう なって いる からだ。ミミで きいて わからない漢語 ―― これは マトモな コトバとは いえない「コトバモドキ」とでも いうべき もの だ ―― は わかりやすい コトバに おきかえるべきだし、ミミで きいて わかる コトバなら 漢語で あっても 漢字で かく 必要は ない だろう。 
 : 漢字で かく 必要が ないと しても、だからと いって 漢字で かいては いけないと いう ことには ならないんじゃ ない? 漢語は もともと 漢字で かかれた ものだから 漢字で かくのが 自然だと おもうけど。
 : その リクツに したがえば 外来語は すべて 原語の 文字で かかなければ ならなく なるんじゃ ない?「スープ」は アルファベットで、「イクラ」は ロシア文字で、「キムチ」は ハングルで。大変な ことに なるね。大体 日本語の 文章の ナカで「スープ」を「soup」と かかないのは 不自然だ なんて 感じた ことが ある?
 : ない。
 : 漢語だって 外来語。日本語に なった コトバで ある 以上 日本語に 適した 文字、カナで かくのが 当然だ。ヨーロッパ語や その ホカの 言語から とりいれた コトバは そうして いるのだから 漢語だけ 特別アツカイに する 理由は ない。
 漢語を 漢字で かく 必要が ない だけで なく、漢字で かくのを やめなければ ならないと いう 理由は イクツも あるけど ヒトツ だけ あげて みよう。それは、ヨミカタが 複数ある バアイが おおい こと。「変化」は 普通「ヘンカ」だが、「ヘンゲ」と よむ バアイも ある。「十分」は「ジュウブン」と よむか「ジップン」(イマでは「ジュップン」が 普通か)と よむかで 意味が ちがう。これらは 両方とも 音ヨミだが、音ヨミでも 訓ヨミでも よめる バアイが ある。「市場」は「イチバ」か「シジョウ」か。「明日」は「アス」か「アシタ」か「ミョウニチ」か。「明日」などは、文脈に よっても 判断 できない。意味は オナジだから どう よんでも いいとは ならない。ニュアンスの チガイが あるからね。この チガイを つたえる ことが できない 漢字は 日本語を 表記する 文字としては 不完全な ものだ。
 : でも、そういう 例は それほど おおく ないんじゃない?
 : ヒトツの 語に 複数の ヨミが あると いうのは 特に おおいとは いえない かも しれないけど、1字に イクツもの ヨミカタが あるのは 一般的だ。
 : 音ヨミと いっても イロイロな ヨミカタが あるんだったわね。
 : そう。「兄弟」の「弟」は「ダイ」(これは 呉音)、「子弟」の「弟」は「テイ」(これは 漢音)、「弟子」の「弟」は「デ」(これは 慣用音)と よむ。「人力」の「力」は「リキ」(呉音)とも「リョク」(漢音)とも よむが、「人力車」の バアイは「リキ」と しか よまない。漢字は 漢音、呉音、唐音などの ヨミワケを するが、どういう バアイに どう よむかは、規則など ないし、合理的な 理由ヅケも できないから 1語 1語 おぼえなければ ならない。こんな ことは 漢字の 本家の 中国では ありえないし、韓国でも ありえない。これは 漢字が 日本語に 適合した どころか 正反対の ものに なって いる ことを しめして いる。
 こう なったのは 中国の ことなる 時代、ことなる 地域の 音を とりいれたのを 整理する ことが できない まま 今日に いたって いると いうだけの ことなんだ。こういう ナンの 必然性も ない ヨミワケを 日本人は 努力して おぼえて いる ワケだが、これは おぼえても 他に 応用の きかない 知識で あって、ついやした 労力、時間には トウテイ みあわない。それでも おぼえられれば いいが、おぼえきれない。「出納」を「シュツノウ」と よむ ヒトは いくらでも いる。「出」と いう 字は「シュツ」、「納」は「ノウ」と よむのが 普通だから「シュツノウ」と よんで しまうのは むしろ アタリマエの ことなんだが、そう よむのは マチガイだと される。アタリマエの ことが アタリマエと されない 倒錯、それが 普遍化して いるのが、漢字を つかう 日本語の 表記法なんだ。おなじ 字を 合理的な 理由なしに イクトオリにも よみわける 無秩序、それが 無秩序で なく あるべき 秩序だと 信じ、うたがう ことの ない とらわれた カンガエカタ、それ なしには なりたたないのが、漢字の 素養と いう ものなんだ。
 日本語は 漢字カナマジリで かく ものと いう 固定観念を すてて カナで かく ことに すれば 漢字の ヨミワケの ような 不合理な ものを おぼえる 必要が なくなるし、視覚に たよらない ミミで きいて わかる つかいやすい 日本語に なって いくだろう。

 ナミエ: 漢字は 日本語を 表記する 文字として 問題が あると いう アナタの カンガエにも 否定しきれない ものが あると おもう。でも、大事な ことを ヒトツ わすれて いませんか?
 カナオ: 大事な ことって?
 : それはね、漢字には 造語力が あると いう こと。
 : 漢字には 造語力なんか ないの。
 : 意外な 見解ね。漢字に 造語力が あると いうのは 常識でしょう? 最近 雑誌で「健脳食」と いう コトバが つかわれて いるのを みたんだけど、これは あたらしい コトバでしょう。漢字だからこそ カンタンに 造語する ことが できる。
 : なるほど 漢字を 2字か 3字 くみあわせれば コトバらしき ものが できる。でも そんな ものが コトバと しての ハタラキを して いるか どうか、それが 問題だ。
 イマ キミが「健脳食」と いう コトバを あげたから、ボクも「食」が つく コトバを あげて みよう。タブン 比較的 あたらしく つくられた 漢語だと おもうけど「コショク」と いうのが ある。
 :「コショク」? 「古食」かしら。
 : そういう 造語も ありうる だろうね。でも ボクが みたのは「孤食」。ヒトリで とる 食事の ことらしい。
 それから、これも あたらしい 造語だと おもうけど「コウショク」と いうのも ある。
 :「コウショク」ね ……。「好食」かな? それとも「交食」かな?
 : 正解は「香食」。クサヤの ような ニオイの つよい タベモノを いうらしい。
 「食」と いう 字を ふくむと ヒントが あたえられて いても、ミミで きいただけでは わからないのが 漢字に よる 造語と いう もの。なぜ ミミで きいて わからないかと いえば すでに はなして きた ことだけど、漢字には 同音の ものが とても おおいから。
 それに「コショク」は、すでに「古色」と いう コトバが あるし、「コウショク」は「公職」「降職」「好色」「紅色」「黄色」と いった コトバが ある。漢字で 造語を すれば ホトンドが 同音異義語と なり、そうで なくても 字を みなければ 意味の わからない コトバと なる。(字を みても 意味が わかるとは かぎらない)キミが あげた「健脳食」だって そうだ。こんな 造語は とても コトバとは いえない もので、「コトバモドキ」とでも いうべき ものだ。漢字は 中国語を 表記する 文字と しては ゆたかな 造語力が あると いえるだろうが ―― 漢字とは それ 自身 中国語の 単語を あらわした ものだから 当然だが ―― 日本語を 表記する 文字としては 造語の 要素としても 不適当な ものだ。いわゆる 漢字の 造語力と いうのは「コトバモドキ」を つくる チカラの ことで、本当の「コトバ」を つくる チカラは ないんだよ。
 : なるほどね。
 : それから、漢字の「造語力」の オカゲで タシカに コトバ(モドキ)は カンタンに つくれるが、安易な 造語の ために 不必要な コトバが ツギツギ うまれる 一方、不必要で あるが ために ツギツギに きえて いく、つまり コトバが 安定しないと いう 事実も 指摘して おかなければ ならない。
 もう ヒトツ つけくわえると、その コトバモドキを つくる「造語力」に したって、「日本語の 造語力」とは いいがたい ものだ。漢字を くみあわせれば コトバらしき ものが できるとは いっても 一定の キマリが あって それに したがわなければ ならない。
 安易に つくられ きえて いった コトバモドキに「嫌米」と いうのが あったが、これは「米国を 嫌う」と いう ことだから 日本語の 語順に したがえば「米嫌」と なる ところだが そうは ならない。造語の キマリに したがった 結果だが、この キマリとは 実は 中国語の 文法規則に ほかならない。
 : よく わからないけど。
 :「ヤマに のぼる」ことを ヤマトコトバでは「山登り(やまのぼり)」と いうけど、これは 日本語の 語順に したがって いるね。だけど 漢語では「山登」では なく「登山」と なって ひっくりかえって しまうね。これは、中国語では 目的語は 動詞の アトに くるからだ。
 : そうなの。
 : 中国語と いう 外国語の 規則に したがわなければ 造語が できない。これは 漢字を つかって いる ために、日本語は 中国語から 自立 できないで いると いう ことを あらわす 一例だ。
 : でも 漢字を つかわないで どう やって 造語を するの?
 : 漢語が すべて いけないとは いわないけど、ミミで きいて わかる ことが 条件だから、日本語 固有の コトバ ヤマトコトバを もっと つかうべきだし、バアイに よっては「カタカナ語」だって いいと おもう。
 「単親」などは コトバモドキの いい ミホンだろう。「単身」と ききちがえられる オソレが あるしね。これは「ヒトリオヤ」とか「カタオヤ」とか いえば ミミで きいても わかる。これが 本当の「コトバ」と いう ものだろう。
 :「ヒトリオヤ」なんて いうのは わるく ないと おもうけど、ヤマトコトバで 造語すると いっても ナニか しっくり こない ものが あるように 感じるけど。
 : ヤマトコトバより 漢語の 方が 高級な 感ジが すると いう ことだろう? でも そう 感じるのは 日本人が 漢字ばかりを ありがたがって ヤマトコトバを ナイガシロに して きたからで ヤマトコトバ ソノモノが おとって いる ワケじゃない。
 どんな 言語だって 文明の 発展と ともに コトバに アラタな イノチを ふきこんで きたので あって、ハジメから 高級な コトバだった ワケじゃ ない。たとえば「コンセプト(concept)」なんて いうのは 高級な 感ジの する コトバだが、語源を たどれば「con」は 英語の「with」、「cept」は「take」に ほぼ 相当する ラテン語から きて いる ワケで、ごく 日常的な コトバだったと いう ことが わかる。
 漢語だって それが 本質的に 文化的で 高級な コトバだ なんて ことは ありえないんだけど 日本人は 漢字・漢語を 崇拝して きた。それで ヤマトコトバに よる 造語が 発達しなかった。
 : 日本では ヨーロッパの コトバを あたらしい 漢語を つくって 訳して きたわよね。漢語は 視覚に たよらざるを えないと いう 弱点は あるに しても ヨーロッパ語を そのまま とりいれる よりは 日本人に とっては なじみやすい ものに なった でしょう? その 点では 意義が あったのでは ないかしら。
 :「経済」とか「金融」とかの 漢語の ことを いって いるんだろうけど、本当に「エコノミー」と いう より「経済」と いった 方が わかりやすい だろうか。「金融」は そのまま よめば「カネが とける」じゃ ないか。イマ これらの 漢語は だれでも 理解 できるし 違和感も 感じないが、それは 日常生活で ヒンパンに つかわれて メにも ミミにも なじんで いるからで、そうで なければ いくら 字を みつめても 意味が わかる ワケでは ない。実際 あまり ナジミの ない 漢語は 外国語と チガイの ない トラエドコロの ない ものでは ないだろうか。哲学の 用語なんて いうのは いい 例 だろう。
 : 哲学用語が トラエドコロが ないと いうのは 哲学と いうのが モトモト むずかしい 学問だから でしょう?
 : ヨーロッパ語では 哲学用語だって かならずしも 日常生活から かけはなれた コトバでは ない。たとえば 漢語の「悟性」なんて いうのは よく わからない コトバだが、英語では「悟性」に あたる コトバは「understanding」だと いう。
 :「understanding」なら コドモでも わかる コトバね。
 :「悟性」ほど よそよそしい コトバで ない ことは タシカだろう。
 漢語は 漢字を つかって いる 日本人には 理解しやすいように おもわれる けれども、漢字は 日本語に とっては ある 面で イマなお 異物で あり よそよそしい もので あって、日常から はなれた 理解しがたい もので あったり、意味を ゆがめて 理解させたり する ことが あると いう ことも わすれては ならない。

 このへんで イマまで はなして きた ことを 整理して みよう。まず、
 ◆漢字は 中国文化が うみだした ものだが、その 表意文字と しての 性格上 中国文化と わかちがたい 関係に ある。
 : 中国文化を 反映した 文字だから、その ナリタチを かんがえると 日本人には ピンと こない ものも おおい。「美」と いう 字は「羊」と「大」が くみあわされた もので、本来 ふとった おいしい ヒツジを 意味するとは おもいも よらぬ ことでした。
 : 異民族が うみだした ものだから よく ない などと いって いるのでは ないが、日本の「漢字文化」とは 一面「植民地文化」で ある ことは 認識して もらいたい。
 そして 漢字は 中国語を かきあらわす 文字として 発達した もので あるから 中国語とは まったく 系統の ことなる 日本語を 表記しようと すれば サマザマな 問題が おこらざるを えない。漢字の 3要素と いわれる 字形、字音、字義の 面から みて みると、
 ◆漢字の 字形は 日本語に とっては 必然性の ない ものだ。なぜなら 漢字は 表意文字 あると ともに その おおくは 表音性も そなえて おり、字形が オトを しめすが、その オトとは 中国語の コトバ(単語)の 発音に ほかならないから。
 : 漢字の 大部分を しめる 形声文字に ふくまれる オトを あらわす 部分(音符)―― たとえば「伯」「拍」「泊」の「白」 ―― は 中国語に とってだけ 意味が あるのでした。それから、モトの 意味を はなれて 同音の 中国語を あらわす ために つかわれる 仮借も 中国語を あらわす 文字だからこそ おこりえた ことで 日本語に とっては ナンの カカワリも ない ことなのでした。
 : こういう 日本語に とっては 意味の ない 偶然に よる 字形を 苦労して おぼえなければ ならない。漢字は 字数が おおいと いう ことだけでも 大変なのに。そして、
 ◆漢字の 字音とは 中国語の コトバの 発音で あって、日本人に とっては 外国語の オトで あるに すぎない。そこで 音に くわえ 本来の 日本語の オトで ある 訓を あてるように なったが、そのため 世界に 例の ない きわめて 複雑な 文字の ツカイカタを する ことに なった。また 日本語を あらわしきれない 原因の ヒトツにも なった。
 : 音も 訓も ヒトツずつなら まだ よかったけど 両方とも 複数 ある バアイが おおい。それに、音なら 音符に よって 類推できる バアイが あるけど 訓は 字形からは わからない。それと「ミョウニチ」「アス」「アシタ」が 漢字では かきわけられない と いう ことは 漢字では 日本語を あらわしきれない と いう ことでした。
 : 字音に ついて もう ヒトツ 問題なのは、
 ◆日本語と 中国語とでは オトの 体系が ことなる ウエ、音節の クミタテカタも ことなって いる。そのため、日本語での 漢字は おなじ 字音を もつ ものが 極端に おおく なり、したがって 同音異義語も おおく なった。その 結果 日本語は 視覚に 依存する、ハナシコトバと しての チカラの とぼしい 言語に なった。
 : 漢語には ミミで きいて わからない ものが おおいのは タシカに こまった ものね。その 意味では 漢字の 造語力も むしろ 日本語を つかいにくい ものに して いるのでした。
 : ◆漢字の 字義は 中国語の コトバが もつ 意味で あって 日本語の コトバの 意味とは 一致しないから、異字同訓などの 問題が 生じる。これは ヤッカイな だけで なく 日本語を ゆがめる ことに なる
 : たとえば「つくる」を「作る」「造る」「製る」「創る」などと かきわけるのは 日本語の「つくる」と いう コトバを 解体し、意味の 一部だけを あらわす こと。逆に「冷」を「ひやす」「つめたい」「さます」と よみわける ように ヒトツの 字に イクツもの 訓を あてたり するのも 漢字が 日本語に 対応 できない ことを しめして いる。「洋服」と「服従」、「服薬」の ように 日本語の 発想としては 意味の ツナガリの ない コトバに おなじ 字を つかうと いう 不合理も 生じた。
 : これも 字義に 関連する 問題だけど、
 ◆漢字では 日本語の 派生の 関係を あらわす ことが できない ことが ある。そのため 同源の コトバでも その ことが わからなく なる。これも 漢字が 日本語を ゆがめて いると いう 根拠の ヒトツ。
 :「おとす」と「おとる」は 同源で あるのに「落とす」、「劣る」と ちがう 字を つかうから 関係が みえなく なるのでした。これは 漢字が コトバの 意味を 不透明に して いると いう ことね。
 おなじ ことが 複合語に ついても いえそうね。「あかね」の 語源は「あかい(クサの)ネ」だと きいた ことが あるけど 漢字で「茜」と かいたのでは その ことが わからなく なる。
 : その とおりだね。
 さらに、文法の 面から いえば、
 ◆日本語は 中国語と ことなり 活用が あるから、オクリガナの タスケが 必要で あるが、この ことも 日本語の 表記の 混乱の 一因に なって いる。
 :「といあわせ」は「問合せ」か「問合わせ」か「問い合せ」か「問い合わせ」か。本当に むずかしい。カナで かけば ナニも 問題は ないのに。
 : ◆造語を するのにも 日本語の 統語法を 反映させるのでは なく、中国語の キマリに したがわなければ ならない。
 : 外国語の 造語法に よらなければ 造語が できないと いうのも かんがえて みれば おかしな ハナシね。
 イマまでの ハナシを ヒトコトで まとめると、漢字と 日本語の ミスマッチが 日本語の 表記を 複雑、不合理で 習得の 困難な ものに し、そのうえ 日本語を ゆがめ、発達を さまたげて きた。
 : 指摘すべき ことは まだまだ タクサン あるし、説明も 十分では なかったけど、イマ あげて きた ことだけでも 漢字が はたして「日本語の 文字」として ふさわしい 文字なのか と いう疑問を もたざるを えない ワケが イクブンなりと わかって もらえたと おもう。
 : 日本で つかわれる 漢字は、中国で つかわれる 漢字とは 字形も 語法も ことなった 変化を とげては いるけど。
 : そう いう 面も ない ワケでは ないけれど、基本的には「Chinese character」すなわち「漢民族の 文字」、「中国語を 表記する ための 文字」としての 特質が かわって いない ことは みてきた とおり。
 :「漢字」の「漢」とは「漢民族」の ことだ なんて ことは あまり 意識されて いないわね。
 : だから この ことを ハッキリと しめそうと する バアイは「漢字」と いわずに「シナ文字」とか「モロコシ文字」とか よぶ ヒトも いる。
 : アナタの 主張には 一理 ある ことは みとめると して、では 漢字を やめて カナだけで 日本語を かいたら いいかと いうと それは 単純すぎると おもう。だって 別の 問題が おきるでしょう? カナばかりの 文なんて よみにくいし、もっと 問題なのは 文化が 断絶して しまうんじゃ ないかと いう こと。
 : それはね、
 : ねえ、この ハナシの ツヅキは また いつか する ことに しましょうよ。ワタシ オナカが すいちゃった。
 : そうだね。もう すこし いくと ジンギスカン料理の ミセが あるんだけど わが マドンナは マトンは きらいだった?
 : ま、とんでも ない。「美」と いう 字の 本来の 意味は どう いう ものだったか 自分の シタで たしかめて みるのも わるく ない アイデアね。
 : じゃあ そう しよう。でも ヒトツ 忠告が ある。わが マドンナに。
 : ま、どんな?
 : オタガイ 過食しない ように しないとね。 
 : ねえ、「過食」と いうのは「コトバモドキ」っぽく ない?
 : やられたね。では いいなおそう。「タベスギ」に 注意。

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