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カナモジ(ぶん)は「()かち()き」をするから(むずか)しいか?
ユズリハ サツキ 
 【漢字廃止論への批判】
 カナモジ論者は、漢字を使わなければ容易に文章が書けるかのようにいうが、カナだけで文章を書くには、分かち書きをしなければならない。分かち書きをするには、その規則を覚えなければならない。であれば、カナモジ文の読み書きは難しい、と正直にいうべきではないか。

 【反論】
 カナ書きの文章は、漢字の煩わしさには悩まされない代わりに、分かち書きの難しさからは逃れられないから、書くのは易しいというのはウソだ、とおっしゃりたいのでしょうか。

 なるほど、カナ(カタカナ・ひらがな)だけで文章を書くためには、分かち書きをしなければなりません。しかし、だからといって分かち書きの規則を完全に覚えなければカナの文章を書けない、などということはありません。

 オトナは忘れてしまっているかもしれませんが、分かち書きはだれにも見覚えがあるはずです。幼児・小学校低学年向けの絵本、教科書は分かち書きで書かれていたはずです。また、分かち書きされたローマ字も習ったはずです。

 分かち書きされた文章を読むのは、だれでもできることは言うまでもありませんが、分かち書きをして文章を書くのも、だれもができることなのです。どこで分けたら(スペースを入れたら)いいのか迷うことはあるでしょうが、細かいことにこだわらずに直感で書いても、一応の分かち書き文にはなります。

 ただし、読みやすく、書くときにも迷いがおきず、一貫していてユレのない分かち書きをするには、ルールを覚えることが必要です。しかし、そのルールは日本語の性質から導き出されたものであって、あくまで論理にのっとったものです。ひとつの漢字にいくつもの読み方があって場合場合によって使い分ける、などというような必然性のないルールとは根本的に性質が異なります。そして分かち書きのルールを覚えることは、漢字を覚えることに比べたら、まったく比較にならない少ない努力で済むことです。

 しかも、このルールは、語についての意識を育てる、という大きな意義を持っています。これを学ぶことは、語の働きを知る、ということでもあるのです。漢字の読みの使い分けのような、必然性がなく、ただただ覚える、というものとは違って、真に教育的な価値のあるものなのです。

 〔補足1〕分かち書きの方式について触れておきましょう。低学年の児童が読むひらがな文は、文節ごとにスペースで分けられています。これは「文節式分かち書き」です。小学校で習うローマ字文は単語ごとに分けられています。これは「単語式分かち書き」です。現在、カナやローマ字の文章では、単語式分かち書きが使われています。(このほか、両方式の折衷型ともいうべき「声調式」というものがありましたが、現在では使われなくなりました。)もっとも、単語式分かち書きも完全に統一されているわけではなく、人によって多少異なるところはありますが、それはごく僅かであって、問題にはならないようなものです。  

 〔補足2〕日本語は膠着語であるから分かち書きはできない、などという人がいますが、それはまったくの誤りです。現に、点字は分かち書きをしますし、日本語と文法がよく似ている韓国・朝鮮語のハングル文、そしてそのほかの膠着語も分かち書きをします。(分かち書きをしないのは、日本語のほかは、中国語とタイ語ぐらいのようです。)

 〔追記〕分かち書きのルールについては、「標準分かち書き」をごらんください。

 (『カナノヒカリ』 950ゴウ 2011ネン フユ) (一部書き改めた。)

(このページおわり)