「カナノヒカリ」 943ゴウ (2009ネン ハル)

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新常用漢字表(仮称)試案への意見

                                             ワタナベ サトシ 


   
 文化庁からカナモジカイに新漢字表試案についての意見がもとめられました。 それに対してワタナベが(個人としてですが)提出した意見を紹介します。 スペースのつごうで一部省略します。


 試案で常用漢字の数を増やすことにも反対ですが、それ以前に結論を急ぐことなく、広く意見を求めた機会にじっくり時間をかけて国民みんなで検討することとし、結論が出るまではいまの漢字表を変えることなく、続けるよう望みます。

 (略)

 1.1981年に、それまでの当用漢字から常用漢字に改定されてまだ30年もたっていません。文字を表わし、読み取る国民が日常、絶えずよりどころとする国の政策としては、50年、60年といった長い期間変わらないことが望ましいと思います。

 この試案(14)ページには、また、「漢字政策の定期的な見直し」と出ていますが、「定期」が短い期間を意味するのではないか、とおそれます。「T 基本的な考え方 1−(2)」には、国語施策としての漢字表の必要性として「国民の言語生活の円滑化」「(漢字かなまじり文による)文字言語の伝達をより分かりやすく、効率的なものとする」(3)ページとあり、まったく賛成ですが、基準のヒンパンな変更は、このこととムジュンし、国民のよりどころとしての信頼性を失うことになるのではないでしょうか。

 2.「4 追加字種の字体について−(2)3」に「目安としての漢字表である限り、表外漢字との併用が前提となる」(12)ページとあり、そのとおりと思いますが、これは字体だけの問題なのでしょうか。まず、字種を考える上でこそ、配慮されていなければならなかったのではないでしょうか。そうすれば、そもそもこのような漢字表の改定自体いらないことに気づいたはずです。

 平成17年の文部科学大臣からの諮問には「(今の)常用漢字が果たして情報化の進展する現在においても「漢字の使用の目安」として十分機能しているのかどうか」とありますが、試案には、これに対する直接の回答は見えません。また、諮問には「人々の漢字使用にかかわる意識もどちらかと言えば、より多くの漢字を使いたいという方向に動きつつあるように見受けられます。」「しかしながら、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般の社会生活における漢字使用を考えるときには、意思疎通の手段としての漢字という観点が極めて重要であり、単純に漢字の数が多ければ多いほどよいとするわけには行きません。」とあることが考慮されているようには見受けられません。

 試案では「社会生活で目にする漢字の量が確実に増えている」(2)ページ「漢字の多用化傾向が認められる」(3)ページとして、2500位あたりを境界として個個の漢字の検討に進んで漢字表作りをしています。この2500というのは何を根拠に決められたものでしょうか。その説明は試案のどこにも見られません。この試案は、ただ、「まず字数増加ありき」ですが、増やすことがいいのか、どうなのか検討されていません。しかし、電子機器の普及による漢字の多用化によって今社会にもたらされていることをよく見れば、目につくものは漢字の消化不良ではないでしょうか。本屋にはこの消化不良への対症療法本があふれています。テレビを見れば、字幕などの誤字・訂正は珍しいことではありません。

 これらを考えますと、諮問への回答として考えるべきであったのは、今の常用漢字と表外字とのスムーズな併用へのくふうです。

 私の意見を並べてみたいと思います。

 つぎのことを国民にしっかりわからせる。これには、教育、マスコミなどの役割が大きいと思いますが、文部科学省、文化庁の指導性がとりわけ大事なのではないでしょうか。

1.字種について

 ア. 漢字表にあるから、コンピューターで出るから、といって漢字にする必要はない。

 (略)

 イ.「目安」なのであるから、「松があるのに樫がない」「うちの県名/町名などの字がはいっていない」などと苦情をいうのはあたらない。

 こういった苦情に一一対応していけば結局漢字表を廃止するしかなくなっていきます。

 ウ.逆に「目安」であることを尊重し、表外の字を含むことばについては、ほかの表現ができないかよく考えて、より分かりやすいことばで表現する習慣が育つような社会とする。

 (9)ページには、<入れると判断した場合の観点>と<入れないと判断した場合の観点>が示されていますが、これはやや公平を欠くと言わざるをえません。一一あげませんが、<入れないと判断した場合の観点>およびその趣旨を優先して追加漢字を見直してみればほとんどみなここのどれかに当たっています。

2.字体について

 ア.全体的に当用漢字で定められた字体、いわゆる新字体のものとその系統のものは、表外字であってもその字体との調和/統一を第一とする。

 何よりも、私たち日本国民(日本語人)は学校教育の場で漢字を学び、身につけていくことが土台で、ふだん使う漢字の半分以上(個人差はあるでしょうが)は、こうして身につけたものであるはずです。のちに習得する文字はこれらの字を基礎に理解・習得していくものなのですから、300年前の字典をタテに正誤をあげつらうのはナンセンスではないでしょうか。もちろん明らかな誤字は別ですが。

 また、試案ではJIS字体を聖域としてあつかっていますが、不思議なことです。主客転倒ではないでしょうか。もっと遠慮なくJIS字体も改めるべきものについては改めることを提言するべきであるとおもいます。これには各方面に理解させる必要があると思いますが。

 イ.デザイン・字体が異なっても文字として同等のものがある。

 「当用漢字」「常用漢字」「表外漢字字体表」「試案」と、一貫して「デザインの違いは字体の違いとは異なる」ことが述べられていることはたいへん結構なことと思いますが、世間一般にはこのことがよく理解されていいない状況だと思います。今、たとえば銀行などでは本人確認に「しんにゅう」の点が一つか、二つかで別の字と判断されてしまうというようなことが起こっています。こうしたことへは試案でも適切な配慮がなされていますが、世間ではほとんど理解されていないのが実情だと思います。責任あるところで広く世間に認識させる努力をぜひしていただきたいと思います。

 また人の姓について、戸籍では、一般的に新字体にすることが認められていませんので、新字体では書類に使えないなどのことがおこっています。しかし、たとえば、「沢」と「澤」、「浜」と「濱」はどれも誤字ではなく、それぞれ同じ文字であることも明らかです。本人の選択は尊重しなければなりませんが、他の者強要したり、他の者強要したりすることをやめるように、指導していただきたいものです。

 「追加人名用漢字」などでも字体の調和/統一よりも他のことのほうが優先されていて、国語施策としての一貫性という点からみて問題があると思います。「漢字表」があっても「漢字表」の意味が薄れたり、ムジュンするような法律などは早く改めていただきたいと思います。

                                      おわり

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