「カナノヒカリ」 943ゴウ (2009ネン ハル)

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「新常用漢字表」試案は、白紙撤回すべきだ

                                             フジワラ タダシ 


   
 1.3月16日付けで、文化庁から「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」に対する意見募集の実施について」なるものが公表された。この「試案」について広く一般からの意見を募集するのだという。しかし、国民生活に直接関わるものであるのに、その期間は、わずか1か月間のみである。単に、一応国民の声を聞きましたという、「実績」を残すためのものとしか思えない。

 それはともかく、この試案を読んで感じたのは、なんともズサンな作り方をしている、ということである。

 2.この「試案」が作られた理由は、一つには、「パソコンや携帯電話などの情報機器の普及」によって、漢字がより多く使われるようになったため、従来の「常用漢字表」の見直しが必要になった、というのであるが、そのような状況をどのように評価するのか、という国語施策として必要な理念が欠けている。

 また、字種選定のために、書籍や新聞、ウェブサイトを対象とした「漢字出現頻度数調査」を実施した、としているのであるが(それ自体は資料価値があるものではあろうが)、それは、あくまでも情報の送り手(書き手)の漢字使用を示す資料である。文字の使用を総合的に検討するならば、情報の受け手(読み手)についての調査も必要なはずである。すなわち、現に使用されている文字のうち、どれだけが、どれだけの人々によって理解されているのか、という絶対に必要な調査が行われていないのである。これは、重大な手抜かりではないだろうか。

 さらに、この「漢字出現頻度数調査」に基づき字種選定を行ったとのことであるが、その選定基準がどのようにして決められたのかが極めてアイマイである。「常用漢字のうち、2500位以内のものは残す方向で考える。」などとしているが、なぜそうしたのか、明らかでない。また、「使用度や機能度がさほど高くなくても、概念という点から考えた場合に、仮名書きではわかりにくく、特に必要と思われるものは取り上げる。」とあるが、「思われる」などということが基準になりうるだろうか。疑問だらけの選定基準である。

 3.この「試案」では、一方では、「漢字を手書きすることの重要性」ということを強調しているのであるが、その考え方が、どのように反映されているのか、それとも反映されていないのか、不明である。漢字が多く使われるようになったといっても、それは情報機器の使用が一般的になったからであり、言いかえれば、手書きをする必要性が減っているということである。新しい漢字表は、すべてを手書きできることまで要求するものであるのか。はたして、それで考え方の整合性が保てるのであろうか。

 あらたに追加される字種を見ると、「鬱」、「稽」など、読むことはできても書くことは難しい字が多い。これらの漢字を書けなければならないとするならば、その前にすべきことがある。上にも書いたが、情報の受け手に対する調査である。「鬱」や「稽」のような字を一体何%の人が手書きをすることができるのか。多くの人々が現に書けるものでない限り、手書きができるべき字種とすることは、到底受け入れられない。

 文化審議会国語分科会でも、この当然の道理には、気づいていたらしく、当初は、「情報機器を利用して書ければよい漢字」として「準常用漢字(仮称)」というものの設定を考えていたようであるが、結局見送られた。怠慢と言われてもしかたがないであろう。

 4.以上、「試案」の「基本的な考え方」について、ごく簡単に触れてきたが、それだけでも、これがいかにアイマイでズサンなものであるかは、お分かりいただけたと思う。本論の「漢字表」については、ほとんど触れることはできなかったが、その必要もないであろう。と言うのは、このような「考え方」からは、ロクなものはできないことは、自明であるから。

 「国民の言語生活の円滑化」ということを言うのであれば、今回の「試案」については、白紙撤回し、あらためて、より明確な理念のもと、国民の漢字の使用能力、特に受け手(読み手)の「読み」、手書きでの「書き」についてもしっかりとした調査を行ったうえで「漢字表」を検討するべきであろう。

                                   (2009/04/01)


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