「カナノヒカリ」 663ゴウ (1977ネン 11ガツ)
日本文化擁護のために
―― 日中略字統一化に反対 ――
さねとう けいしゅう
ことしの1月3日,朝日新聞の「論壇」にのせられた,多谷千香子氏の『日中漢字の共通化を』という主張にたいし,賛否両論がでているが,わたしは,その主張にたいし,ぜったい反対である。
こういう主張は,いまにはじまったことではない。漢字の大家,塩谷温氏が主張したのは,ずいぶんふるいはなしである。
ついでは三木武夫氏が首相になるまえ,おなじ意見をのべた。これらの意見にたいし,わたしは,いつも反対してきた。
ついで藤山愛一郎氏が周恩来首相にたいして,おなじ意見をのべた。
これにたいし,周恩来は,すぐ正面からは答えず,「日本にはカナといういいものがある。」とほめ,ついで「わが国でも,やがてはローマ字みたいなものにしようとおもう。わが国は広いので,すぐには,できない。まあ,21世紀ごろになるだろう。」といい,そのあとで,「両国で略字の共同研究をするのはよいことだ。」といった。藤山さん,ちょっとスッポカされた感じだった。
さてまたこんど,日本がわから共同研究の提案があった。
わたしは,あくまで反対である。その理由を重要度のつよいものから,のべてみよう。
わが国の 国語政策のために
わが国では,昭和21年,当用漢字と現代かなづかいがきまり,こんにちにおよんでいる。すこしの手なおし(?)はあったけれども,だいたいその線ですすんできている。
これは国民教育のために,たいへんよいことであった。
でも,なかには,いまでも,これをくつがえし,より多く漢字をつかわせようとするうごきがある。いまでも,当用漢字に反対の層がある。それは文化人,とくに文学者に多い。(この点,中国の文学者とは対しょ的だ。)
こういう背景のある日本で,中国とそうだんし,略字をあらためたり,ふやしたりしてごらん。
当用漢字に反対のひとは,いっせいにたちあがって反対し,当用漢字をくつがえし,もとのままの漢字崇拝にたちもどってゆくにちがいない。
明治以前,日本は,文化面においては中国一辺倒であった。中国で略字をつかえば,無批判にその略字をつかった。仏教のことば「南無阿弥陀仏」を中国で「南无……」とかけば,日本でも,そうかいた。
漢方医は中国の医書をよりどころとした。そのなかで「陰陽」を「_〔こざと偏+月〕_〔こざと偏+日〕」とかいてあると,わけもなく「__」とかいた。
しかし,いまはそうではない。日本の文字政策は,明治以降は,中国の方はむかず,国内のつごうひとつでやってきた。ごらん,中国で蒋介石時代に200字ぐらい略字にしたとき,だれもなんともいわなかった。日本は中国にならわず,文字政策をすすめてきた。これでよいのだ。
それだのに,いまさら略字統一といって,あらたに中国の略字をもちこんできたら,日本の国字政策はメチャクチャになる。かんがえてみてもゾッとする。
つぎに,このくわだてが,いかに実行不可能であるかを,のべてみよう。
専門家の たちばから
日中両国が略字の共同検討をする,ということは,略字をなくしよう,というのではなく,よりよくしよう,というのであろう。
略字をよりよくしよう,というのは,どういうことであるか? それは,より簡単な略字にしよう,ということであろう。つまり画のすくない文字をさいようすることになる。
「壓迫」の「壓」は,日本では「圧」,中国ではテンがひとつふえて「_」。これは日本の「圧」をさいようすることになろう。
ところで「警視庁」の「庁」は,中国では上のテンがなくて「_」,「反対」の「対」は中国ではテンがなくて「_」,このふたつは,日本が中国のテンなしをさいようすることになろう。そうなると,日本の大衆が,それをそれをうけいれるであろうか? テンのない「_」や「_」は,まがぬけているとして反対するにちがいない。
画の数はおなじでも,つくる基本,よりどころが,まったくちがうものに,「慶応」の「応」がある。日本では「應」のなかのニンベンとフルドリをのぞいて「応」とした。中国では「應」の草書体「_」をさらに楷書的になおして「_」とした。ともに7画ではあるが,まるでちがったつくりかたである。さて,これをとちらにきめるか? もし日本の「応」にきまれば,もんだいはないが,中国の「_」となったら(中国は漢字の本家本元),どうなるであろうか? おそらく日本の人々はブウブウいうであろう。
中国では「遠」が「_〔しんにゅう+元〕」となり,「園」が「_〔くにがまえ+元〕」となっている。というのは「袁」も「元」もその発音がひとしくyuanであるから,もんだいにならない。
日本は「遠」「園」の略字がないから,これを輸入するとなると,ただではおさまるまい。日本では「袁」はエンだが,「元」はゲンで発音がちがうからである。
このような例は,ひじょうにおおい。
日本人は反対するにきまっている。
まだまだ,いいたいことは多いけれど,両国略字の統一は,どうせできるそうだんではないので,このへんでやめておこう。(元早稲田大学講師・中国文学)