カナモジカイ(公式サイト)
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アテ漢字(かんじ)のイロイロと そのガイ
オバタ・タダオ 
  これまで「漢字語」「クンヨミ・クンガキ」のガイをとりあげたが、「漢字語」わ つくったニンゲンとしてわ イミがあるコトバのツモリだし「クンヨミ・クンガキ」も´ホンヤク´のツモリである。ところがイマ 漢字でかいているコトバのホトンドわ 漢字語として なんのイミもない ただのアテ漢字である。これわ ムカシのマンヨーガナのナゴリだろーが、ナカにわ漢字としての「イミ」もないウエに「オト」もデタラメとゆーモノがはびこっている。「ナニがなんでも漢字でなければ」とゆー ショクミンチ・コンジョーのアラワレだが、なんとガッコーのコクゴのジュギョーわ このイミのない漢字・漢字語をおぼえることにチミチをあげている。

 1.まったくイミのないアテジ
 (1)トチナマエ
  「青森」から「沖縄」まで ほとんどがイミのないアテ漢字である。「アオモリ」は「アオイ・モリ」でわないし、「沖縄」は「オキのナワ」でわない。「岩の手」などあるワケがないし、「秋田」の「アキ」わ「安岐」「安芸」とおなじコトバだろー。「熊本」をはじめ「熊」がつくナマエがいっぱいあるが、どれも「熊」とわなんのカカワリもない。「熊本」はムカシ「隈本」とかいたとゆーし、ホカに「球磨」「球麻」「久万」などいろいろのアテジがある。このため、もともとおなじトチナマエが ベツのものだとおもわれているし、そのアテ漢字もテタラメにツギツギとかえ それをまたデタラメによむからムカシからのナマエが なくなったり かわってしまったりしていく。
  (ア)イミのないムダ:「奈良」は「那良」ともかいた。ただのアテジである。「ナラ」でいーモノを  わざわざ漢字をつかう。ナカにはこんなモノもある。ヒラカタ・シ「クスハ」わ ケーサツとチューガッコーわ「楠葉」、エキとショーガッコーわ「樟葉」である。シマネケン・カイグン・カイマチの「カイ」もグンとマチでベツの漢字をつかっている。
  (イ)よめないしイミもわからない:「オキのシマ」わ コドモでもかけるしイミもわかる。それを「隠岐」などとかくから よめもかけもしないし イミもわからない。「神戸」はみな「コーベ」だとおもったらオーマチガイで カノト・カミト・カミド・カンド・カンベ・ジンゴ・ジンドなどがある。「飛鳥」に「アスカ」などとゆーオトがあるワケがないし イミも「飛鳥」とわなんのカカワリもない。サキにあげた タイ・ノブユキさんの『日本語の語源』によれば、これわ「アスカ」のマクラコトバ「富み足る」がなまって「トムトリ・トビトリ」となり、「飛鳥」とアテジして「飛鳥のアスカ」となり 飛鳥=アスカとなったとゆー。これには「明日香」とゆーアテジもあって 「飛鳥=明日香」とゆーナンセンスなコトがまかりとーっている。もともとわ「阿須賀」であり「安宿」でもある。「カスガ」も「春日(ハルヒ)のカスガ」がおなじよーに「春日=カスガ」となった。スズキ・タケジュさんの『地名・苗字の起源99の謎』(PHPブンコ)によれば「アスカ」「カスガ」の「スカ」「スガ」わ、「スキ・スク」とおなじく「ムラ」をあらわす ふるいチョスン(チョーセン)ゴだとゆーが、「阿須賀」「安宿」「飛鳥」「明日香」をみて おなじコトバとみるヒトわいない。「鴨」「加茂」「賀茂」もみな「カモ」だが そーわみえない。
  (ウ)トチナマエがかわる:「越前・越中・越後」わ もともと「コシのクニ」である。この「コシ」に「越」をアテジしシナヨミしたから「コシのクニ」わ わすれられた。かたや「カミのケノ」クニの「ノ」がきえて「コーズケ」となったのに、字でわ「ケ」がきえて「上野」などとしたから「上越線」などとゆーナマエがうまれ、「越後」でわ さらに「上越・中越・下越」などといい 上越市などとゆー もとの「コシのクニ」とわ なんのカカワリもないナマエがつくられる。また「ニージュク」が「新宿」とかかれて「シンジュク」となるよーなカワリカタがどこでもおきる。
  (エ)ホッカイドーのトチナマエのオワライ:このイミのないアテジのみほんが ホッカイドーのトチナマエである。そのおーくわ アイヌゴだそーだが ニホンモジで「ツキサップ/クナシリ」などとカンタン・セーカクにかけるモノをわざわざ「月寒」だの「国後」だのとアテ漢字をかいてよろこんでいる。しらないヒトが「月寒」を「ツキサップ」とよむワケがなく、みんなが「ツキサム」とよむため とーとー「ツキサム」になってしまった。「国後」も「後」を「シリ」とよむワケがないし おなじ「シリ」でも「リシリ」「オクシリ」わ「利尻」「奥尻」になっている。デタラメである。これらわ かつて亜米利加・伊太利などとかいていたノコリカスだが、こーゆーナンセンスなアテジを いまだにありがたがってつかっているのわ オワライとしかいいよーがない。アイヌのヒトタチわジブンタチのブンカをまもろーとしているよーだが、アイヌゴをまったくみえなくする こんなカキカタを ほっておくのわフシギである。
  まえ ホッカイドー知事に「もー亜米利加だの伊太利とわかかないのだから月寒だの国後もやめたらどーか」とテガミをかいたが かわらない。
 (2)ミョージ・(ヒト)ナマエ
  ニホンジンのミョージのおーくわ、トチナマエからでているとゆー。そのトチナマエが ウエにみたよーに ほとんどイミのないアテジだから ミヨージもそーなる。ワタシの「オバタ」わ グンマケン・カンラグンの「オバタ」からでているが、そのイミわ わからないとゆー。小幡・小畑・小畠などがあり、ふるくわ尾葉田・小波田などともかいたとゆーが どれもアテジである。織田・小田・尾田/川上・河上・加輪上/久保田・窪田/柴田・芝田・新発田/橋本・端本/斉藤・佐囲東 などなど、みな「マンヨーガナ」にすぎない。中村などわ イミがありそーにみえるが、これも『地名・苗字の起源99の謎』によれば那伽・那賀・那可・那珂・那河といった ナカゾクのヒトタチのトチナマエからとゆー。中川も那珂川がモトのモジでわないか。
  ナマエのほーもすさまじー。 里緒菜・亜以子・杏奈・緩奈・美智留・由佳里・由喜恵・真由子・里奈・由香・左右利・美弥・央美(テルミ)・亜紀・真由美・麻椰子・紫穂・優美子・奈美・真沙子・奈緒・奈々子・沙知代・理美・麻利央などなど。まさにマンガである。よめもしないしイミもない。そもそも ナニゴなのかもわからない。セカイでこれほど バカげたナマエをつけるクニわないだろー。このイミのないアテジのためにヤクショのコセキガカリわ、とほーもないジカンとカネのムダをしているのである。
 (3)ヨーロッパゴ・インドゴなど
  「南無阿弥陀仏・釈迦・禅」などわ オトモジをもたないシナゴが ふるいインドゴをかきしるすための´シナフーマンヨーガナ´である。すらすらかけるニホンモジをもちながら それをありがたがってマネしている。´ダイシンブン´もいまだに米国・英国・仏語・独語などとゆーコトバを ハズカシゲもなくつかっている。´仏語´はホトケのコトバでわないし´独語´とわヒトリゴトでわない。このアイダ ペルーのヒトジチサワギのトキアサヒに´日秘´とあった。ニホンとペルーのコトだとゆー。オワライである。

 2.イミありげで、ジツわアテジ
  ウエの(1)~(3)までわ「アテジ」であるコトがわかるモノがおーいが、フダンつかっている漢字語のナカにわ イミがありそーにみえて ジツわイミのないアテジであるモノがイッパイある。たとえば「アンバイ」わ ヤマトグチ「アワイ」のナマリだそーだが なんどイワナミ・コクゴジテンにわハッキリ「塩梅(エンバイ)の転」とかいてある。
  これだけでわなく ほとんどのジショが「塩梅・案排・按配」とかいている。由縁、覚悟、厄介、面倒、当惑、介抱、勝手、沢山、青二歳、囲炉裏、健気、所以 などなどジツはナンのイミもないあて漢字だそーだ。しかも その漢字のイミにひっぱられ モトのイミがわからなくなったり ゆがめられたりする。(『語源をつきとめる』ホリイ・レイイチ 現代新書など)

 3.ジツわホトンドが、イミのないアテジ
  漢字語に´イミのあるモノ´と´イミのないモノ´があるよーにいったが フツーのヒトはミワケがつかない。とゆーコトわ それを漢字でかくイミわないとゆーコトである。たとえば´アイサツ´とか´キゲン´などわ ミッツのコドモでもわかるニホンゴであるが オトナでも これを´挨拶・機嫌´とかけるヒトわすくない。そこでジビキをひっくりかえして´挨拶・機嫌´とかいてみても´挨´´拶´とゆー漢字がどーゆーイミなのかわからないし なぜ´機嫌´なのかもわからない。むしろイミからいえば´気嫌´とかきたくなる。つまりニホンジンわ´挨拶・機嫌´とゆー漢字とわカカワリなく ニホンゴとして´アイサツ・キゲン´とゆーコトバをつかっているのであって、´挨拶・機嫌´は「漢字でかくとこーなる」とゆーだけのモノである。いずれにしても´アイサツ・キゲン´がニホンゴになりきっているからである。ニホンゴになりきったコトバわ ニホンモジでかくべきで、それをわざわざジショをひっくりかえして漢字をつかうのわ これまたブンカショクミンチのオワライといってよい。イギリスゴのナカにわ ギリシャゴ・アラビアゴなどいろいろのコトバがはいっているが それらを ギリシャモジやアラビアモジでかくコトわないし、ベトナムゴもチョスンゴもおーくの漢字語をふくむコトバだが ベトナムゴわローマジで チョスンゴわハングルでかいている。

 ◆ムカシ漢字をありがたがるオワライ
  このところ ムカシ漢字がはびこっている。ゆーまでもなく漢字は コーコツモジからはじまり よりつかいやすいよーにカイリョーをかさね キンブン・レーショなど いろんなカタチをへてきたモノである。そしてチョンクオ(中国)でわ´簡体字´―――これわジカクのカズが ふるいカイショのハンブンくらいになっている―――をさだめ、ニホンでわ´当用漢字´をさだめた。いずれもナオシのナガレのヒトツのステップであって まだまだかわるはずだった。ところがモンブショーわ ´81ネンに´当用漢字表´をやめ´常用漢字表´にかえた。これわ漢字をノバナシにしよーとゆーもので 100ネンにわたるニホンゴナオシのアユミをひっくりかえしたモノである。漢字をありがたがるなら本家であるチョンクオのマネをしたらよさそーなモノだが、とかくブンケのホーがエダハのコトをありがたがるミホンである。これで ムカシ漢字を「正字」などといって トクトクとつかうヒトタチがあらわれた。そのおーくわナマエだが、サキにいったよーに これわほとんどイミのないアテジである。そのイミのないアテジを わざわざムカシ漢字でかいてよろこぶとわ なんともバカげている。またムカシ漢字がただしーとゆーなら ブンショーでもつかうべきだが そんなコトをやったらナニがおきるか すこしかんがえれば わかるコトである。

 (『カナノヒカリ』 895ゴウ 1997/12)

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