「カナノヒカリ」 880ゴウ (1996ネン 7ガツ)

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カタカナ語がはびこるのは漢字制限のせいか

                                             キクチ カズヤ 


   

1 「カタカナ語」問題を 利用した 漢字制限への 攻撃

  昨年 11月28日 読売新聞 朝刊に 「対立討論『ら抜き』とカタカナ語」と いう 記事が のった。これは、国語審議会が 中間報告で 「ら抜き言葉」や 「カタカナ語」の ハンランに 対し、これを おさえる 姿勢を しめした ことに ついての 水谷修 国立国語研究所 所長と 大野晋 学習院大学 名誉教授の フタリの 専門家の 意見を まとめた もので ある。
  「ら抜き言葉」に ついては、水谷氏は、「言葉は社会的なものであると同時に個人のもの。規制は難しい」と しながらも 「一定の基準は大切」と 主張するのに 対し、大野氏は 「流れを逆転させるのは不可能だと思う。日本語の変化の流れに沿った動きだから」と して いる。
  「カタカナ語」に ついては、水谷氏は、(「漢字制限は造語力衰退に関係があるか」との トイに 対し)「漢字制限が漢語の造語力を弱めたのは事実だろうが」 「当時の改革は ……… 共通財産としての言葉を用意するという意味では貢献した」と 国語改革を 評価するのに 対し、大野氏は 「戦後の当用漢字1850字は漢字漢語を殺す目的で、その第一段階として作られた」との 認識を しめし、「漢語の衰退で(外国語を)訳しきれなくなり、生で入れるようになった」 「日本語最大の問題は戦後の漢字制限であり、カタカナ語の氾濫はその結果だ」と いう。
  漢字制限が 「カタカナ語」の ハンランの 原因だ と いう 主張は 漢字擁護派の ヒトビトに より くりかえし なされ、漢字制限に 対する 攻撃の 材料に されて きた。しかし このような 主張には 根拠が あるのだろうか。

2 「カタカナ語」は 戦前から つかわれて いた

  まず 指摘して おきたい ことは 「カタカナ語」と いわれる ものは 戦前から つまり 漢字制限が おこなわれる マエから カズおおく つかわれて いた と いう 事実で ある。
  たとえば、バター、チーズ、レコード、トラック、ピアノ、バイオリン、ビール、ボ−ト、ダンス、ペン、コンサート、ストライキ、エチルアルコール、サーベル、カメラ、モダン、エレベーター、ライオン、モーター、ドラマ。これらは みな 戦前から つかわれて いる 「カタカナ語」だが、いずれも 乳酪、乾酪、音盤、貨物自動車、洋琴、提琴、麦酒、短艇、舞踏、洋筆、演奏会、同盟罷業、酒精、洋剣、写真機、現代的、昇降機、獅子、発動機、演劇 と 漢語で あらわしうる もので ある。(その おおくは 現在の 常用漢字にも とりいれられて いる やさしい 漢字で ある ことにも 注意して いただきたい。)外国語を あたらしい 漢語を つくって 訳すのでは なく そのまま カタカナで あらわす と いうのは 漢字制限が おこなわれて いない 時代から ひろく みられた 現象なので ある。つまり 漢字制限が 「カタカナ語」の ハンランの 原因で ある などと いうのは まったくの 見当チガイ なので ある。

3 制限漢字でも 十分 造語は できる

  「しかし カタカナ語は 戦後に なって ふえる イキオイが ました ことも 事実で ある。これに ついては 漢字制限が 多少なりとも 影響して いるのでは ないか」と おもう ヒトが いる かも しれない。
  では 戦後 あらわれた 「カタカナ語」に ついて、それらが 漢字制限に よって 漢語ヅクリが さまたげられた 結果 うまれた もので あるか いなかを かんがえて みよう。
  おもいつく ままに 比較的 あたらしい 「カタカナ語」と 漢語の 訳語を あげて みる。
  マルチメディア:複合媒体、バイオテクノロジー:生物工学、リストラ:再構築、インフラ:経済基盤、アニメ:動画、ワープロ:文書作成編集機、コミュニティ−:地域社会,共同体、アイデンティティー:自己同一性、ユーティリティー・ビークル:多目的車、トライアスロン:三種競技、キャッシュ・ディスペンサー:現金自動支払機、バーチャル・リアリティー:仮想現実感、エイズ:後天性免疫不全症候群、アメニティー:快適度、シンセサイザー:電子音合成装置、パートタイマー:非常勤勤務者、フリーズ・ドライ:凍結乾燥、エアコン:空気調節装置、スプリンクラー:散水装置、フォーラム:公開討論会。
  かならずしも 適切な 訳語では ないかも しれないが、大概の バアイ、常用漢字の 範囲で あらわしうる ことは おわかりの ことと おもう。わざと そう いう コトバだけを えらんだのだろう と おうたがいに なる カタは ご自分で ためして ご覧に なると よい。
  カリに 漢字制限を ゆるめて つかえる 漢字を 2倍に したと すれば、漢字 2字で 造語すると して、つくりうる 漢語は 4倍に なり、ずっと 漢語を つくりやすく なる リクツでは ある。しかし、実際には 当用漢字や 常用漢字は つかわれる 頻度を かんがえて えらばれたの だから、それだけでも 大概の バアイ まにあうので ある。それに 常用漢字 2字の クミアワセだけで3,783,025とおりも あるので ある。
  戦後 「カタカナ語」が ますます カズを ましたのも 漢字制限の ためとは いえないので ある。

  それでも、適当な 字が 制限漢字(当用漢字、常用漢字)に みあたらなくて やむをえず そのまま カタカナで つかった ケースが まったく ない と 断言する ワケでは ない。しかし そのような バアイが あったと しても 制限漢字の 範囲で 漢語を つくる クフウを つくしたのか と いう 疑問が のこる。
  クフウとは たとえば、
  (1)おなじ 系列の 字を つかう
たとえば 「蹴」と いう 字が 制限漢字に ないから 「蹴球」と いう 漢語が つかえない と いうのなら カワリに 「就」を つかって 「就球」と する ことが できる。(「蹴」と 「就」とは 字の カタチや オトだけで なく、意味も ツナガリが ある)
  (2)字の 意味を ひろげる
「就球」を つかえば 「サッカー」や 「ラグビー」も ムカシの ヨビカタに したがって 「ア式就球」、「ラ式就球]と いえる。しかし これでも カタカナが 1字 はいるので 漢字が 大スキと いう ムキには ご不満で あろうと おもう。そこで ツギのような ヤリカタは いかがだろうか。「ア式」の 「ア」とは 「association」だから そのまま 訳して 「協会式就球」、略して 「協球」と する。「ラグビー」は もともと 固有名詞だから オトを うつして 「羅球」。「協」は 「サッカー」、「羅」は 「ラグビー」の 意味を もつ ことと なり 「サッカーファン」、「ラグビーファン」も それぞれ 「愛協家」、「愛羅家」(または 「好協家」、「好羅家」)と 漢語で あらわす ことが できる。
  字の 意味を ひろげると メイセキさを そこなう ことに なる との 批判が あるかも しれないが、漢字が その もつ 意味を ひろげて いく ことは 決して めずらしい ことでは ない。 「服従」の 「服」と 「洋服」の 「服」、「革靴」の 「革」と 「革命」の 「革」とは 意味が ちがう。「米国」は 「コメの クニ」では ないし、「好角家」は 「ツノを このむ ヒト」では ない。
  (3)別の 字に おきかえる
また 「football」を そのまま 翻訳して 「足球」と する ことも できるだろう。「足球」なら 中国語とも 一致するし 「soccer」と オトも にて いるから よいと おもうが。 
  とは いっても ワタシは このような 造語を すべきだ と いって いる ワケでは ない。どうしても 漢字に こだわる ならば、クフウ 次第で 大抵の バアイ 制限漢字で まにあう と いう ことを しめしたまでで ある。

4 日本語の 本当の 問題

  ウエに みて きたように、漢字制限の ために 漢字の 造語力が 衰退して それが 「カタカナ語」の ハンランの 原因に なったのでは ない。別の 原因に よって 外国語が このまれるように なり、漢語に 訳す 意欲が おとろえたので ある。
  それは ヨーロッパや アメリカとの 文化的 政治的 交流から うまれた 現象で ある。そして もう ヒトツ みのがして ならない ことは 日本人の 国語に 対する 自覚の なさで ある。
  奈良、平安時代 ワレワレの 祖先は 単に 漢字、 漢語を うけいれる だけでは なく、それを ヤマトコトバに 訳そうと つとめた。つまり ヤマトコトバで 造語を おこなったので ある。が やがて 漢語のみが とうとばれ、ヤマトコトバは かろんじられる ように なり ワキヤクの タチバへ おいやられた。明治時代 サカンだった 外国語の 漢語に よる 翻訳が やがて すたれ 外国語を そのまま つかうように なったのも これに にて いるかも しれない。
  しかし 漢字は 「カタカナ語」より ハルカに 深刻な ダメージを 日本語に あたえた。日本語の 伝統を 破壊し、表記を おそろしく 不合理で 複雑な ものに し、ハナシコトバとしての チカラの とぼしい ものに して しまった。この ことこそが 日本語に とって 最大の 問題なので ある。


〔原文は、「カタカナひらがな交じり文」〕


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