「カナノヒカリ」 862ゴウ (1995ネン 1ガツ)

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変わった「カタカナ語」表記

                                             キクチ カズヤ 


   
  いわゆる「カタカナ語」の ハンランが 話題に のぼるように なって ひさしく なります。イマでは 商品の ナマエは カタカナガキが アタリマエ。会社の ナマエも カタカナの ものが ズイブン おおく なりました。ヤマトコトバで さえ カタカナで かかれる コトが すくなく ありません。
  ここでは その ことの ゼヒには ふれません。チカゴロ「カタカナ語」の カキアラワシカタで 気の ついた ことを とりあげたい と おもいます。それは 普通と ちがった カキアラワシカタが よく みかけられる ことです。たとえば、
  1 長音符号「ー」を 省略する。
  例:シティ(city)
    パーティ(party)
    ティ(tea)
  これは ジビキには「シティー」、「パーティー」、「ティー」と いう カタチが のって います。ナゼ このような カキカタが みられるように なったのでしょうか。モトの コトバ「city」、「party」の「y」は みじかい 母音で ある と いう 意識が はたらいて いるのかも しれません。しかし「tea」の「ea」は ながい 母音 です。ワタシは「ティ」と 2字で かく ために、それだけで ながい オトを あらわす と 錯覚して いるのでは ないか と かんがえて います。それとも みじかく かいた 方が みた メに スッキリするから でしょうか。だと すると、発音と ツヅリが 一致しない と いう 問題が ひきおこされて いる ことに なります。
  2「ー」の カワリに 「ィ」を つかう。
  例:フロッピィ・ディスク(floppy disk)
    ファジィ(fuzzy)
  これは「フロッピー・ディスク」、「ファジー」と かきあらわすのが 普通です。もし モトの コトバの「y」は みじかい 母音で ある と いう ならば、「フロッピ」、「ファジ」と かけば よいので あって、「ィ」は いりません。どうやら「ィ」は「ー」の ヤクワリも する と かんがえられて いるようです。おそらく 1で しめした 傾向の 影響でしょう。あるいは「Kennedy」>「ケネディ」などの 類推から、「−y」を 一様に「−ィ」と する 習慣が できつつ あるのかも しれません。(なお、「ケネディ」も 実際には「ケネディー」と発音される ことが ホトンドだと おもいますが いかがでしょうか。)
  3 余計な「ィ」を つかう。
  例:クリーミィー(creamy)
    ジューシィー(juicy)
  この「ィ」は まったく 余計な もので、なぜ このような カキカタを するのか わかりません。単なる 混乱でしょうか。
  この ホカ、「カタカナゴ」では ありませんが、「まぁ」、「ギィィ」のような カキカタも おおく みられます。(オモに 感動詞や オノマトペ)「まあ」、「ギー」とは ちがった ニュアンスを あらわそう と して いるのでしょうか。
  ワタシは これらの カキアラワシカタが ジビキや 政府の 訓令「外来語の表記」に よって しめされている ものと ちがって いるから と いって「マチガイ」で ある と きめつけて トガメダテする ツモリは ありません。しかし イマまでの カキカタを かえるには、ソレナリの 理由が あって しかるべきだ と おもいます。だれもが 自分の すきなように カッテに かくならば、いらぬ 混乱を まねく ことに なるでしょう。「クリーミー」と かけば よいのか、「クリーミィ」が ただしいのか、それとも「クリーミィー」か と まようようでは こまります。
  ワタシは このような カキカタを 商品の ナマエや 広告に つかって いる いくつかの 会社に といあわせて みた ことが あります。いずれも 大企業と よばれる 会社ばかり でしたが、もどって きたのは 検討ハズレの 回答ばかり。これは ワタシの 想像ですが、おそらく 日本語の 表記として 適当か どうか と いう ことには トンチャク なく、ただ フィーリングで つかって いるのでは ないか と おもいます。
  では、このような「カタカナゴ」の ユレが なぜ おおく みられるの でしょうか。また、なぜ ある 程度 ゆるされて いるのでしょうか。
  その 理由は イロイロ かんがえられますが、その ヒトツは 一般に 漢字が 日本語の 表記の カナメで ある と 信じられて いる ために カナが かるく みられて いる と いう ことが ありそうです。また、学校では コドモの 能力を こえた カズの 漢字を おしえる ことが しいられて いる ために、国語の 授業が アマリにも 漢字教育に かたよって しまって います。
  カナは けっして カンジを おぎなうだけの ものでは ありません。むしろ カナこそが ニホンゴの ヒョウキの ハシラで あって、カンジは カザリに すぎません。この ことは、カンジだけで ニホンゴを かく ことは できないが、カナだけで かく ことは できる。と いう ジジツが ものがたって います。ゲンに ワタシは カンジを つかわずに この ブンショウを かいて いますが、なにか フツゴウな ところが あるでしょうか。(さらに いえば、カンジには サマザマな ヘイガイが あります。ここに くわしく のべる ことは しませんが、たとえば ヒトの ナマエが よめずに こまった ケイケンは だれにも ある ことでしょう。カンジを つかって いる カギリ モンダイは カイケツしません。)
  オフィス・オートメーションの 発達や ワープロの 家庭への 普及などに ともない あらたな 観点から 日本語の 表記が 検討されるように なりましたが、漢字だけで なく、カナでの カキアラワシカタに ついても もっと 関心が もたれて よいのでは ないでしょうか。

〔原文は、全文「カタカナひらがな交じり文」〕

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