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()わった「カタカナ()表記(ひょうき)
キクチ カズヤ 
 いわゆる「カタカナ語」(ヨーロッパ語系外来語)のハン濫が話題にのぼるようになって久しくなります。今では商品の名前はカタカナ書きが当たり前。会社の名前もカタカナのものがずいぶん多くなりました。ヤマトコトバでさえ、カタカナで書かれることが少なくありません。
 ここではそのことの是非にはふれません。近頃「カタカナ語」の書き表わし方で気のついたことを取り上げたいと思います。それは、普通と違った書き表わし方がよく見かけられることです。たとえば、

1.長音符号「ー」を 省略する。
 例:シティ(city)
   パーティ(party)
   ティ(tea)
これは、字引には「シティー」「パーティー」「ティー」という形が載っています。なぜこのような書き方が見られるようになったのでしょうか。元のコトバ「city」「party」の「y」は短い母音である、という意識が働いているのかもしれません。しかし「tea」の「ea」は長い母音です。ワタシは「ティ」と2字で書くために、それだけで長いオトを表わす、と錯覚しているのではないか、と考えています。それとも、短く書いたほうが見た目にスッキリするからでしょうか。だとすると、発音とツヅリが一致しない、という問題が引き起こされていることになります。

2.「ー」の代わりに「ィ」(小書き文字)を使う。
 例:フロッピィ・ディスク(floppy disk)
   ファジィ(fuzzy)
これは、「フロッピー・ディスク」「ファジー」と書き表わすのが普通です。もし、元のコトバの「y」は短い母音であるというならば、「フロッピ」「ファジ」と書けばよいのであって、「ィ」は要りません。どうやら「ィ」は「ー」の役割もする、と考えられているようです。おそらく、 1で示した傾向の影響でしょう。あるいは「Kennedy」>「ケネディ」などの類推から、「-y」を一様に「-ィ」とする習慣ができつつあるのかもしれません。(なお、「ケネディ」も実際には「ケネディー」と発音されることがほとんどだと思いますがいかがでしょうか。)

3. 余計な「ィ」(小書き文字)を使う。
 例:クリーミィー(creamy)
   ジューシィー(juicy)
この「ィ」はまったく余計なもので、なぜこのような書き方をするのか分かりません。単なる混乱でしょうか。

 このほか、「カタカナ語」ではありませんが、「まぁ」「ギィィ」のような書き方も多く見られます(主に感動詞やオノマトペ)。「まあ」「ギー」とは違ったニュアンスを表わそうとしているのでしょうか。

 わたしは、これらの書き表わし方が字引や政府の訓令「外来語の表記」によって示されているものと違っているからといって「間違い」である、と決めつけて、とがめだてするつもりはありません。しかし、今までの書き方を変えるには、それなりの理由があってしかるべきだ、と思います。だれもが自分の好きなように勝手に書くならば、いらぬ混乱を招くことになるでしょう。「クリーミー」と書けばよいのか、「クリーミィ」が正しいのか、それとも「クリーミィー」か、と迷うようでは困ります。
 わたしは、このような書き方を商品の名前や広告に使っているいくつかの会社に問い合わせてみたことがあります。いずれも大企業と呼ばれる会社ばかりでしたが、もどってきたのは見当はずれの回答ばかり。これは、わたしの想像ですが、おそらく日本語の表記として適当かどうか、ということにはトン着なく、ただフィーリングで書いているのではないか、と思われます。
  
 では、このような「カタカナ語」のユレがなぜ多く見られるのでしょうか。また、なぜある程度許されているのでしょうか。
 その理由はいろいろ考えられますが、そのひとつは、一般に漢字が日本語の表記のカナメである、と信じられているために、カナが軽く見られている、ということがありそうです。また、学校では、子どもの能力を超えた数の漢字を教えることが強いられているために、国語の授業があまりにも漢字教育に偏ってしまっています。
  
 カナ は けっして かんじ を おぎなう だけ の もの では ありません。 むしろ、カナ こそ が にほんご の ひょうき の はしら で あって、かんじ は かざり です。 この こと は、かんじ だけ で にほんご を かく こと は できない が、カナ だけ で かく こと は できる、と いう じじつ が ものがたって います。 げんに わたし は いま、かんじ を つかわず に この ぶんしょう を かいて います が、なにか ふつごう な ところ が ある でしょう か。 (よみなれない ため に よみにくい、と いう こと は ある か も しれません が。)
 オフィス オートメーション の はったつ や ワープロ の かてい への ふきゅう など に ともない、 あらた な かんてん から にほんご の ひょうき が けんとう される よう に なりました が、かんじ だけ で なく、カナ での かきあらわし-かた に ついて も もっと かんしん が もたれて よい の では ない でしょう か。

 (『カナノヒカリ』 862ゴウ 1995ネン 1ガツ) (一部書き改めた。)

(このページおわり)