「カナノヒカリ」 743ゴウ (1984ネン 6ガツ)

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シナもじわ どのようにして にほんごを ほろぼしたか

                                             おばた・ただお 


   
 わたしが 「にほんごわ ほろびた」 とか 「いまのにほんごわ かたわな植民地ことば」 とか いうのわ これまでもいってきたように つぎのような ありさまを さしている のである。
 NHKのニュースをきけば シーレーン サミット ゼロシーリング バッカのねあげ レイカだったキョネンのなつ キョカをもってニュージョー キョカダイにテンカしました,などといい 新聞をひらけば 空撮 美港 降灰 除灰 焼尽する,などということばが ならんでいて 外来語辞典がなければ ニュースもわからないようになってしまっている。これらが なにを しめすかといえば われわれ にほんじんが ことばとわなにか という ことをわすれ にほんごを みうしなってしまった というコトである。
 こうなった いちばんの原因わ,これもくりかえし いってきたが にほんじんの植民地根性である。おやからの ことばをいやしめ ひたすら外国の ことばを ありがたがり つかおうとする。そして はじめに はいってきたもじが シナもじであったため これの毒によって にほんごわ そのねっこから ほろぼされることになった。どのようにして ほろぼしたか。
 
  1 おとを うばった

 うえの新聞の例 クーサツ ビコー コーカイ ジョカイ ショージンするなど,もし講演のなかに こんなことばがでてきたら なんのことやら まるでわからないだろうし また つかわないだろう。これをかいた記者の あたまの なかにわ 「おと」 わ ないのである。
 おとわ どうでもよいから あてシナもじによって ことばが かわってしまう。例 ◆しろうま→白馬→ハクバ ◆いつつむりやま→五頭山→ゴズサン ◆ひのこと→火事→カジ ◆ふたらい→二荒→ニコー→日光 など。こうして うたをわすれたカナリヤならぬ おとをわすれた にんげんに なったため 「春がきた,と漢字でかかないと春がきたきがしない」 (新聞の投書) ようになり,どう発音するのかわからない シナもじだらけの タンカがつくられ 自分のことを ハイジンなどとよんで なにも感じない ことばのゲイジュツカが あらわれるのである。

  2 にほんごを みえなくし ばらばらに してしまった
 
 つぎの ことばをみて おなじことばが みえるだろうか。(1) 誠・言葉・事柄 (2) 村・斑・叢  (3) 歯・目・鼻 ―― 葉・芽・花。(1)わ マ・コト コト・ハ コト・ガラであり,(2)わ 「ムラ」 であり,(3)わ ハ・メ・ハナである。こういうように シナもじという まったくべつのころもを きせたため にほんごが かくされ みえなくなっている。そして 「言」 だの 「事」 などという ころもを きせたため,にほんごの 「コト」 ということばわ どういうなかみをもった ことばなのか すっかりわすれてしまった。したがってコトバ,コトガラの もともとの イミもわからなく なっている。コトガラのガラが オーガラのガラなら コトが具体化したのが コトガラ ということになる。コトのハの 「ハ」 とわ なんだろう。葉や歯とおなじなのか ちがうのか。コトの一部が おもてに あらわれたのが 「ハ」 なのだろうか。
 「ムラ」 わ いうまでもなく なにかが よりあつまっている さまをいう。これに 「ガル」 という動詞語尾がつくと 「ムラガル」 になる。これに 「村」 などという あてじをし 「村雨」 などと かくから 村にふるあめ などと おもいこむことになる。
 (3)の葉・歯,芽・目,などについてわ 辞書でも 「同根か」 とかいてあるが,豊永武盛さんわ にほんごのもとわ 人間のからだである としている。メ,ハ,ハナのほか カワ,マタ,ネ,フシなど共通であリ,家の ムネ マド カハラもそうだという。(「あいうえおの起源」 講談社)
 英語辞書でspringをひくと 動詞・名詞・形容詞と半ページ以上にわたってかいてある。springということばわ これだけのなかみを もったことばだと いうことである。だから あるときわ 「いずみ」 のイミで,あるときわ 「はる」 のイミで つかわれても そのうしろにわ これらすべての イミがひそんでいて ことばを ゆたかにしている とみてよい。ところが にほんごの辞書にわ もともとひとつのことばが,あるいわ あに・おとうと だったことばが にても につかぬ きものをきせられ まったく べつの ことばとして ならべられて いるのである。したがって そのことばわ もとのことばの何分の1かの イミしかもたない まずしいものに なりさがって しまっている。
 
  3 もののすがたも みえなくなった

 にほんごが みえなくなれば それでなずけられている もののすがたも みえなくなる。中村浩さんの 「植物名の由来」 によれば 「クマザサ」 のクマわコメのふるいかたちで コメザサの イミであるという。そこではじめて 「ササにこがねがなりさがる」 という うたのイミが わかるわけだが,これを「熊笹」とかかれたのでわ とても コメを かんがえることわ できない。この本にわ 「熊野,熊谷,熊の平は コメをつくったたに,平地のイミ」 という 白柳秀湖さんの説がかかれているが,このように あてシナもじによって,自分がすんでいる 土地のなのイミすら わからなくなって いるのである。いま全国で すすめられている 住居表示あらためによって いわれのある なまえが どんどん きえてしまっているが イミもわからない なまえだから ソマツにするのも あたりまえだろう。

  4 にほんごのしくみ くみたても みえなくなった

 つぎの例をみてみよう。
 ふかい ― ふかみ ― ふかさ
 たかい ― たかみ ― たかさ
 いたい ― いたみ ― いたさ
 このように まことにきちんとした かたちで形容詞から 名詞がつくられるのであるが,これらの ことばの かわりに 深所・深度,高所・高度などということばが つかわれるから このしくみわ みえなくなっている。また,形容詞や名詞に 「ガル」 という語尾がついて,「いたがる」 「むらがる」 などと動詞をつくり,おなじ動詞でも 「ひろげる」 「ひろがる」 のように他動詞,自動詞と つくりわけられるのだが,これも 「拡張する」 などということばが はびこって みえなくなってしまった。動詞の未然形が名詞になるのも おなじで (あるく ― あるき,かたる ― かたり) 「歩行」 「講演する」 などのことばによって ほろぼされようとしている。
 また,おとに きをつけて hi,hu,mi,yo,i,mu,na,ya,ko,to をみれば,hi,hu,mi,mu のあいだでわ u=2iの関係があり yo,yaをみても おなじ 子音の ことばわ かずのおおきいほうがかならず ひらいた母音である という関係もみえるのだが,一,二,三,四でわ なにもみえない。

 このように にほんじんわ にほんごを みうしなったため まともに ものをかんがえられなくなって いるのだが これについてわ つぎのおりに かきたい。


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