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郭沫若の文字改革論(もじかいかくろん)
さねとう けいしゅう 
 先般なくなった中国科学院長,郭沫若は,すぐれた詩人・劇作家・学者・政治家であった。文学作品をヨコガキにしたのは彼であり,戦前から文字改革に熱心であったのは,かれと魯迅とであった。
 郭沫若は1964年〈日本の漢字改革と文字の機械化〉という長い文章を発表している。すこし時がたったとはいえ,われわれ日本人もハッとおもうところがあるので,以下その要点を紹介してみたい。
 
 漢字使用国のうち,ベトナムは19世紀の末,ローマ字にきりかえ,また北朝鮮は1948年,ハングルにきりかえた。
 日本には漢字から変化したカタカナやひらがながあって,漢字とともにつかっている。1946年当用漢字1850字をきめた。この「当用」というのは,ようすをみて,さらに改革しようといういみだ,とのことだ。〔注:このてん,日本人は忘れているようだ。〕日本で漢字を改革したことは1600年このかた,はじめてで,おどろくべき事件である。しかし,日本のやろうとしている文字改革は,これでおしまいではない。やがて,さらに一歩をすすめるであろう。〔注:日本人にはアタマのいたい人はいないか?!〕
 わが国の小学校では約4000の漢字をおしえる。小学1年だけでも780字で日本の小学1年生の17倍以上をおぼえねばならぬ。
 中国では電報をうつのに,いまも4ケタの数字になおしている。日本の電報をみると,うらやましい。
 日本では,カナタイプ,ローマ字タイプ,そのほかさまざまの機械化をおこなっている。中国の電報の非能率を見て,日本の機械化をみると,目をみはるばかりである。
 わたしは漢字を使って60年,漢字にしたしみもあり,その美しさもよくしっている。しかし,教育をひろめ,たかめるためには,文字改革が必要だ。みよ,ベトナム・朝鮮・日本はみなわれわれの先をすすんでいるではないか! われわれは,あらゆる手をつくして,おいつかねばならぬ。
 われわれはまず,よみにくい地名を簡単な文字にあらためたい。たとえば,翻陽(ハヨゥ)を波阳(ハヨゥ)とし,雩都(ウト)を于都(ウト)としたように。
 わが国ではローマ字がきまっているのだから,文中の擬声語や感嘆詞はローマ字にすべきだ。そういうと漢字の純潔をみだす,というひとがあるかもしれないが,魯迅が《阿Q正伝》をかいているように,われわれ作家はいくらも,そういうこころみをした。
 だからといって,うつくしい漢字がなくなるなんて,しんぱいする必要はない。たとえ将来中国の文章がローマ字だけでかきあらわせる時代がきても,漢字は決してなくなりはしない。日本の当用漢字は1850字だけれども,かの《漢和大辞典》〔注:諸橋轍次著をさす〕には4万9964字がのっている。してみれば,いま日本でつかわなくなった四万八千あまりの漢字は,ちゃんとのこっているではないか! それどころか,むかしの甲骨文・金石文だって,ちゃんとのこっているではないか!〔注:郭沫若はそれらの文字の研究家であった。〕
 われわれは2万5千里の長征のとき,文字改革の第1歩をふみだした。どうしても第2歩,第3歩,第4歩……と,一歩一歩と理想的目標にむかってすすまねばならぬ。
  (聖徳学園短大教授)

 (『カナノヒカリ』 676ゴウ 1978ネン 12ガツ)

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