キラキラネーム ― そのキラメキと憂い
フジワラ タダシ
ちかごろ、とても風変わりなコドモの名前が増えている。これらは、「キラキラネーム」または冷やかしをこめて「DQN(ドキュン)ネーム」と呼ばれる。「愛瑠笑(アロハ
)」「宇宙(コスモ )」「時二十四(ジョージ )」「汰偉虎(タイガ)」「七音(ドレミ)」 など。その多くはまず読めない。読めたとしたら偶然である。
これには、個性的でよい、子をおもう親の気持ちがこもっている、など肯定的な意見がある一方、無理な当て字は文字の公共性を無視している、男か女かわからなくて困る、などといった否定的な意見も少なくない。また、イジメの原因になるのではないか、就職に不利になるのではないか、などと心配する声もある。
さて、キラキラネームがどのような作られ方をしているかをみると、その多くは「良いオト」と「良い文字(漢字)」とを両立させようという気持ちが生み出したものであることがわかる。
したがって、われわれがキラキラネームについて好ましく感じるところがあるとすれば、それは、オトの響きを大切にする傾向である 。コトバは、文字で表わされる前にまずオトである。ここちよいオトの響き、それは、人間にとって大きな喜びである。
しかし、それを「良い漢字」で表わそうとすると、とたんに泥沼にはまることになる。だれにも正しく読めない。大変に迷惑なことである。本人に聞ければまだよいが、それができなくて困ることも多い。
漢字の元々のオトをナイガシロにして、思いもよらない当て字をする。これは、文字という公の財産を私物化することによって成り立つ遊びではなかろうか。「良いオト」の響きはわれわれの生活によくなじむが、読めない「良い漢字」はそうではない。文字を使った遊びは、わたくし事、たとえば雅号など、として楽しむべきであろう。
(『カナノヒカリ』 957ゴウ 2012/アキ)
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