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造語力(ぞうごりょく)()漢字(かんじ)廃止(はいし)主張(しゅちょう)するのは(おろ)かか?
ユズリハ サツキ 
 【漢字廃止論への批判】
 漢字は、造語力に富んでいる。漢字が日本語の語イを豊かなものにしてきたのであり、漢字を使わなくては、日本語は貧しいものになるであろう。漢字の廃止を主張するなど愚かなことではないか。

 【反論】
 確かに漢字を2字か3字組み合わせれば、コトバらしきものが簡単に作れます。たとえば、何かを減らすという意味のコトバを作るには「減」という字に別の字を付け加えればいいのですね。「減額」「減量」のように。

 現に、「減災」「減容」などのような辞書に載っていない、あまりナジミのないコトバも少なからず使われています。「災害を減らす」のが「減災」、「容積を減らす」のが「減容」というわけです。この調子でまだまだ作れますね。「減脂」「減熱」「減染」「減犯」「減病」「減汚」「減暴」「減湿」「減光」……。

 このように漢字を適当に組み合わせれば、いくらでもコトバが作れる。漢字って本当に便利なものですね、漢字あっての日本語なんですね……と単純にいえるのか、吟味する必要はないでしょうか。なるほどコトバらしきものは限りなく作れるけれども、それらがコトバとしての十分な働きをしているかどうかが問題です。

 「減災」「減容」のたぐいは、字を見れば意味をある程度推測できるでしょう。でも話しコトバでは字が見えませんから音で判断しなければなりません。「げんさい」「げんよう」で意味が通じますか? 文脈からいろいろ字を思い浮かべてなんとか分かることもあるでしょうが、別の同音のコトバと取り違えられたり、まったく理解されないという恐れも大いにあります。なぜなら、漢字の音はごく限られたものであり(その理由はここでは省略します。)、同じ読みの字がたくさんあります。「げん」なら「減」のほかに、元、幻、玄、言、弦、限、原、現、源、厳、眼などがあり、オトだけでは意味が分かりません。また、従って、2字以上の漢字コトバ(漢語)も同音のものが多くなります。「げんさい」には「減債」「減殺」、「げんよう」には「言容」「厳容」「現用」などの同音語があります。

 このように漢字で造語をすれば、その多くが同音異義語となり、そうでなくても字を見なければ意味の分からないコトバとなります。こんな造語は、コトバとしての十分な資格を備えているとはいえません。中国語では、同音の漢字が少ないので漢字の造語力が発揮されるのですが、日本語を表記する文字としては、造語の要素としても不適当なものです。いわゆる漢字の造語力というのは「減災」や「減容」のような「でき損ないのコトバ」を作る力のことで、本当の「コトバ」を作る力ではないのです。

 また、その「でき損ないのコトバ」を作る「造語力」にしても、「日本語の造語力」とはいいがたいものです。漢字で造語するには、目的語を動詞のあとに置く(日本語の語順とは正反対!)というキマリがあります。たとえば、「額を減らす」のは、日本語の語順に従えば、「額減」となるところですが、実際はそうはならず、「減額」となります。造語のキマリに従った結果ですが、このキマリとは実は中国語の規則にほかなりません。つまり、日本語は、文字(漢字)のみならず、造語法まで、中国語に従属しているのです。

 漢字コトバを増やすのはもうやめましょう。日本語を中国語から独立させましょう。「減災」「減容」 などというコトバは要りません。「ワザワイべらし」「カサべらし」でいいではありませんか。日本語本来のコトバ、ヤマトコトバを活かしてこそ、日本語を使いやすい豊かなものにすることができるのです。

 (なお、漢字の「造語力」のおかげで確かに「でき損ないのコトバ」は簡単に作れますが、安易な造語のために不必要なコトバが次々生まれる一方、不必要であるがために次々に消えていく、つまりコトバが安定しないという事実も指摘しておきます。)

 【参考】 ◆漢字に 造語力が あるか (モモセ チヒロ 「カナノヒカリ」1977年8月号)

 (『カナノヒカリ』 935ゴウ 2007 ハル)

(このページおわり)