現在〔2006年〕、「文化審議会 国語分科会」 (「国語審議会」の後身) によって「常用漢字表」の見直しが始められています。これは、コンピューターの普及により、漢字がかつてよりは扱いやすくなったこと(実は、能率の問題が残っているのですが)
、また、戦後行なわれたもろもろの改革の歴史的意義についての認識が国民の意識から薄れつつあることなどを背景として、「漢字を増やせ」という声があらわれていることによると思われます。
そのような論客の中に、「中国では、小学校で3000字を教えているのだから、日本でも漢字表を3000字以上にせよ」と主張する人がいます。中国では小学生ですら3000字を学んでいるのだから、日本人もそれぐらいの漢字は使えるはずだ、というのでしょうか。もし、本気でそう考えているのなら、とんでもない思い違いであるといわざるを得ません。
日本も中国も、ともに漢字を使っている点では共通性がありますが、コトバにも文字の使い方にも大きな違いがあります。
第1に、日本には、カナという便利な表音文字がありますが、中国にはそのようなものはありません。(ピンインと呼ばれるローマ字表記ありますが、日常生活で使われているわけではありません。)日本では、漢字を多くは知らない小学校低学年の子どもでもカナを使って自由に文章をつづることができます。おとなもカナの恩恵を受けています。難しい漢字を使わなくてもカナで書けば用は足ります。外来語もカタカナでかんたんに書き表わすことができるのです。中国語ではこうはいきません。ここに、中国では小学校から多くの漢字を教えなければならない理由があるのです。
第2に、日本の漢字も一部簡略化されてはいますが、中国ではより簡略化が進んでいます。例をあげれば、旧字体の「兒」「廣」はそれぞれ、日本では「児」「広」ですが、中国では「儿」「广」です。また、「衝」「醜」は、日本では、そのまま使っていますが、中国では、「冲」「丑(字体は少し違う)」という字に置き換えています。ですから、単純に数だけで比較することはできないのです。
第3に、中国と日本では、字の読み方が違います。大変に違うのです。これは決定的に重要なことなので、詳しく見てみましょう。
中国では、漢字の約9割は読み方がひとつしかありません。それに対し、日本では読み方がいくつもあります。音読みと訓読みがあり、さらに、それぞれが複数あるのが普通です。
〔中略 (「
「日本語の表記法は世界に類例のない複雑なものである」とは、どういうことか」をご覧ください。)〕
第4に、漢字は本来、中国語を書き表わすために生まれた文字ですから、日本語、とりわけヤマトコトバ(和語)を漢字で書き表わすときにも、やっかいなことが起こります。これも、中国では起こりえないことです。
(1)送りガナの問題があります。「うまれる」は、「生まれる」か、「生れる」か、それとも「生る」か。
(2)熟語の書き方もひととおりではありません。「いきぼとけ」は「生仏」か「生き仏」か。「いけばな」は「生花」か「生け花」か。おまけに、「活花」「活け花」という書き方もあります。
(3)「生かす」と「活かす」のような異字同訓の問題もあります。「うむ」は、「生む」とも「産む」とも書きます。ほかに、「字む」「娩む」「養む」とも。どう書き分けるのか。このような問題が、数限りなくあるのです。
このように日本での漢字の使い方は、中国のそれよりもはるかに複雑なのです。それゆえ、中国と日本では、漢字を習得する負担が、まったく違うのです。日本では、漢字を習得するには、少なくとも中国よりも数倍の労力が必要でしょう。中国の小学生にとっての3000字は、日本の小学生には数百字に相当するものと考えるのが妥当でしょう。かつて、教育漢字は881字でした。これには、教育現場の教師たちの経験が反映されていたのでしょう。
「中国では、小学生でさえ3000字を習うのだから、日本でも、それ以上」などというのは、見当違いもはなはだしい、短絡的な考えだということは、ここまでわたしが述べてきたことで明らかでしょう。
日本語ほど複雑な表記をする言語は、世界中どこを探してもありません。漢字を習得するのにあまりにも多くの労力を費やしているのが現状です。それにもかかわらず、現在の常用漢字でさえ、それを十分に修得している人は、決して多くないことは、各種の調査で明らかになっています。
現在の常用漢字でも多すぎるのです。増やすどころか、むしろ減らすべきです。そして、あいまいな「漢字使用の目安」を示すのではなく、かつての当用漢字の時代のような漢字制限を行なうべきなのです。
【つけたし】 もし仮に、多くの漢字を使うことにかけがえのない意義があるのだとすれば、多少の困難があろうと、学び、教える必要があるでしょう。しかし、わたしはむしろ、漢字はその〈数の多さ、複雑さによる修得の困難さ〉のほかにも、〈日本語を使いにくいものにした〉、〈日本語の伝統を損なった〉、〈日本語の発達をさまたげた〉、など、欠点や害をあまた指摘することはできますが、漢字の利点など何ひとつないと考えています。ここに詳しく説明する余裕はありませんので、カナモジカイの ホームページなどをご覧ください。
(『カナノヒカリ』 930ゴウ 2006ネン フユ)