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改悪(かいあく)された『教育用(きょういくよう)音楽(おんがく)用語(ようご)』の外来語(がいらいご)表記(ひょうき)
キクチ カズヤ 
1 「ベートーベン」か「ベートーヴェン」か
 おととしはベートーベンが生まれて225年目、音楽界にデビューして200年目にあたったため、これにちなんで展覧会、講演会、シンポジウム、演奏会などが催され、また映画「不滅の恋 ベートーヴェン」が公開されたり、ベートーベンに関する本が出版されたりしました。
 これらについてはマスコミでも報道されましたが、Beethovenのカナ表記をめぐってチグハグなことが起きました。新聞などでは「ベートーベン」と表記しているのですが、映画や催しの名前に「ベートーヴェン」が使われている場合は、勝手に変えるわけにもいかず、そのまま書きますから、ひとつの記事の中でふたとおりの表記が混じって使われる、ということがしばしば起こったのです。
 これは見苦しいことですが、もっと困るのは発音です。「ヴェ」と書いてあるのを[ve]と発音すると、キザに聞こえるのではないかと気になり、[be]と発音するとv音が発音できないように思われるのではないかと気になり、一体どうしたものかと迷うのです。これはわたしだけではないと思います。このように表記も発音も定まっていないというのは望ましいことではないでしょう。
 外来語の表記にユレがあるとか、日本人にとっては難しい発音が用いられるというのは、前からのことで、オトナなら大して気にならないかもしれませんが憂うべきことは、この混乱が教育の場にも持ち込まれてしまったことです。それは、直接的には文部省初等中等教育局長の通知「学校教育における外来語の取扱いについて」によってもたらされたのですが、その一例として、『教育用音楽用語』の改訂について見てみたいと思います。

2 『教育用音楽用語』の改訂にいたる経過
 学校の教科書で用いられる音楽用語の表記は、原則として文部省編『教育用音楽用語』によることとされていますが、これが1994年に16年ぶりに改訂されました。そして1996年度以降に使う教科書から順次、この改訂版にそった表記に改められることになったのです。
 この改訂版の内容に触れる前に、ここにいたる経過を振り返ってみましょう。

 1991年、国語審議会は、1966年に文部大臣から諮問のあった「国語施策の改善の具体策について」のうち、「現代かなづかい」に関連する事項としての「外来語の表記」の問題について、審議の結果を『外来語の表記』として取りまとめ、答申しました。これを、1954年に国語審議会部会報告として発表された「外来語の表記について」(内閣告示にはいたらなかった)と比較すると、次の点が異なっています。
 (1)1954年の報告では対象に含まれていなかった人名・地名についてもカナの用い方が示された。
 (2)1954年の報告では用いないこととされていた「デュ」およびなるべく用いないこととされていた「シェ、ジェ」「ティ、ディ」「ファ、フィ、フェ、フォ」が、「一般的に用いる仮名」(第1表)とされた。
 (3)1954年の報告では、用いないこととされていた「トゥ、ドゥ」「テュ」「フュ」「ヴュ」、なるべく用いないこととされていた「ウィ、ウェ、ウォ」「クァ、クィ、クェ、クォ」「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」、そしてまったく触れられていなかった「イェ」「ツィ」が、「原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名」(第2表)とされた。
 この答申については、様々な問題が指摘され、批判されましたが、その主なものは次のような点でした。  
 (1)1954年の報告で示されていた、外来語であっても現代の国語で使われている音の範囲で書き表すべきであるという、当然の考え方が捨てられてしまった。その結果、「ゼラチン」(「ジェラティン」でなく)のように国語として同化した語形こそ本則とされるべきであるにもかかわらず、反対に「慣用」として例外扱いされている。
 (2)外国語を国語化するよりどころを示すべきであるのに、単なる現状追認に終わっている。したがって、様々な語形のうちどれを用いるべきかを明らかにしておらず、かえって語形のユレを広げかねない。
 (3)「『チェ』は、外来音チェに対応する仮名である」のような表現がなされているが、これではその外来音がどのようなものであるかがわからない。
 (4)「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」を「外来音」であるとしているが、実際にはそれほど使われておらず、「外国語音」とみなすべきである。また、このような表記をすれば、発音とのズレが起きることになる。
 (5)「原音、原づづりになるべく近く」というが、これはどの外国語から取り入れるかによって違ってくる場合がある。など。
 しかし、結局、政府はこの答申の内容のまま1991年6月28日、内閣告示第2号をもって「外来語の表記」を告示しました。

 ところで、この答申の前文には、「この『外来語の表記』は、……現代の一般の社会生活における「外来語の表記」のよりどころを示したものである。学校教育においては、この趣旨を考慮して適切な取扱いをすることが望ましい」と書かれています。これを受けて、文部省では、「学校教育における外来語及び音訓の取扱いに関する調査研究協力者会議」をもうけ、検討した結果を「外来語の表記」の告示と同時に文部省初等中等教育局長の通知「学校教育における外来語の取扱いについて」として出しました。
 これによって、外来語の指導の範囲が 小学校では、第1表(「一般的に用いる仮名」)、中学校と高等学校では第1表および第2表(「原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名」)とされることになりました。 
 この通知が出たことを大きな理由のひとつとして、『教育用音楽用語』が改訂されることになったわけです。

3 『教育用音楽用語』に持ち込まれた「原音」
 今回の改訂のうち、外来語表記(人名を含む)に関するもっとも特色のある点は、前の版では「バ、ビ、ブ、ベ、ボ」で統一されていたv音の表記が中学校・高等学校では「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」で表記されることになったことです。小学校の教科書では「バイオリン」「ベートーべン」、中学校・高等学校の教科書では「ヴァイオリン」「ベートーヴェン」とふたとおりの表記が用いられることになってしまいました。
 これは、ただ通知「学校教育における外来語の取扱いについて」に従ったまで、とはいえません。なぜなら、これは第2表のカナを用いることを強制したものではないからです。実際、地名については財団法人教科書研究センターが1994年に改訂した『新地名表記の手引き』に、「原則として「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」の音は、「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書く。」「片仮名書きの表記は、原則として、小学校・中学校・高等学校を通じて一定する。」と明記されています。
 『教育用音楽用語』の今回の版の付録としてのっている解説文部省初等中等教育局教科書調査官丸山忠璋氏の「「教育用音楽用語」――歴史と今回の改訂の特色――」によると、「音楽関係者の間には、「ヴ」の使用に強い要望があった」と書かれています。
 その理由として「今日では、外国の歌を原語で歌う機会も多く、そのような指導においてはできるだけ原音に近い書き表し方が必要となります。これまでですと、例えば、表記が「アベ・マリア」と書かれているために、発音でV音を発音させることが大変難しいことがありました。」というのですが、まったく説得力がありません。
 「ヴ」を使えば確かにv音とb音との区別はつくでしょうが、r音とl音との区別はどうするのでしょうか? s音とθ音(英語のth)の区別は? f音とx音(ドイツ語のch)、h音の区別は?……… 比較的日本人に発音しやすいといわれるイタリア語でさえ、カナでは表わせない音はいくつもあります。それをなぜv音とb音の区別だけをカナで示さなければならないのでしょうか。(「ヴ」という字は福沢諭吉が外国語の音を教えるために作った字といわれています。v音のみがカナで書き表わされることがあるのは、たまたまそういう字が考え出されたというだけで何の必然性もないのです。)それに、原語で歌わせるなら原語を読ませるに決まっています。カナの表記がどうなっていようと関係ないはずです。
 「バイオリン/ヴァイオリン」の原語は英語の「violin」ですが、もっとさかのぼると、イタリア語の「violino」から来ています。それを英語では英語風に「なまって」発音しているのです。それはほかの言語でも同じで、たとえばスペイン語でも語形は「violin」ですが、スペイン語の「v」の音はb音ですので発音は[bjolin]となります。スペイン語と同じくv音を持たない日本語でもb音を使って「バイオリン」とするのは自然なことです。
 「ベートーヴェン」もおかしい。Beethovenはドイツ人ですから、現地の音に近づけるというのなら「ベートホーフェン」とでもしなければならないでしょう。
 確かに、とりわけクラシック音楽界では「ヴ」が一般的に使われていますから、音楽関係者から要望があっても不思議ではありません。しかしそれは普段自分たちが見慣れている表記だからということでしょう。「ヴ」を使わなければならない合理的な理由はいくら考えても見当たりません。

 今回の改訂による変更は「ヴ」を用いたことだけではありません。いくつか簡単に触れておきましょう。
 (1)「グラチオーソ」が「グラツィオーソ」に
 これは、「ヴ」と同じく「ツィ」が「外来語の表記」の第2表に取り入られたことによるのでしょう。
 (2)「コレルリ」が「コレッリ」に
 これも、原音になるべく近くという考え方によるのでしょうが、日本語ではラ行音の前にツマル音が来ることはありませんから大変発音しにくいものになりました。
 (3)「メゾ・フォルテ」が「メッゾ・フォルテ」に
 ツマル音が多いのはイタリア語の特長です。イタリア語は音楽の世界では国際的に使われていますから、日本語でもイタリア語から取り入れるのは自然でしょうが、イタリア語独特のクセまで取り入れるのはどんなものかな、と思います。
 (4)「ピチカート」が「ピッツィカート〈ピチカート〉」に
 〈 〉で示されているのは小学校で教えられる表記です。「ピッツィカート」では小学生にはあまりにも難しいという「配慮」なのでしょう。小学校と中学校・高等学校で表記が異なってしまったもうひとつの例です。
 (5)「ワーグナー」が「ワーグナー(ヴァーグナー)」に
 ( )で示されているのは「現地の音に近い」表記で、どちらも認めるということです。「ワーグナー」と表記する慣用が根強いためにとりあえず両方の書き方を示したもので、次の改訂では、慣用の方を否定して「ヴァーグナー」に変えたいということでしょう。

4 今回の改訂の「成果」
 以上見てきたように今回の改訂とは、原音に近づけることを大きな目的としたものでした。
 しかしそのために、
(1)外来語も国語であるということを考えず、国語としてなじまない音を持ち込んででしまった。
(2)慣用が定まっている表記さえ否定しようとするもので、混乱を引き起こすことが予想される。
(3)小学校と中学校・高等学校では異なった表記をするという不合理をもたらした。 
という大きな代償を払ったのです。
 しかも、そうまでして決めた新しい表記といえば、上に書いたように、せいぜいv音とb音の区別ぐらいしかできないものなのです。
 これでは、教える側も教えにくくなっただけでしょうし、教えられる側のためにもならないでしょう。付録の解説には「(両方の書き表し方を併記した)ことによって音楽の学習につまずく者が出ないことを願うばかりです。」とありますが、このような心配をせざるをえなくした今回の外来語表記の「改訂」とは、残念ながら「改悪」であったといわざるをえないようです。
 
 (『カナノヒカリ』 887ゴウ 1997年3月)(一部書き改めた。)

(このページおわり)