文化植民地の ムダサワギ
オバタ タダオ
9月20日の 朝日新聞に 「ニセ舶来品時代」 という 半ページを 使った 記事が あり, そこに 頭の さき から 足の さき まで 舶来品で よそおった 男の マンガが のって いた。 「上等舶来」が 骨に まで しみこんだ ニホン人の 姿で ある。 これが 服や 時計 だけで なく ニホンの 文化全体が 「上等舶来」 なのだから, まさに 文化植民地 という ほか ない。
いまの 「常用漢字表」を めぐる さわぎは, この 文化植民地を 示す ムダサワギで ある。 シナモジを 何字 ふやす のが いい とか わるい とか, どの シナモジが いる とか いらない などと いう ことは エダハで あって, いまだに シナモジを ありがたがり, そのことに, なんの 反省も ない ことが 問題 なので ある。
世界の 文明国で, 自国語 より 外国語を ありがたがり, 自国語を 外国モジで かいて よろこんで いる 国が ニホン 以外に ある だろうか。 かつて シナモジを 使って いた ベトナムは, 国の 独立と ともに ローマ字に かえ, 北チョゥセンも ハングルに かえた。 のこって いる のは ニホン だけで ある。 そして あいかわらず 学校の 国語の 時間は 大半の エネルギーを シナモジの ヨミ・カキに 費やし, われわれの まわりに やたら 外国語が はびこって いく。 この 記事に 「文化の流浪の民」 という 見出しが あったが 「文化の植民地」 という のが 正しい。
文化庁 とは 何を する ところか 知らないが, ニホンの 文化を 育てる ことに かかわる ところ なら, 外国語・外国モジに 頼らない ニホン語づくり, ニホン語を 外国語で 説明 する という 恥さらしな もので ない ニホン語の 辞書づくり くらい 考える のが とうぜん では ないか。
また われわれの カナガキ運動も, ただ 能率 とか 便利さ だけ では なく, 根本は, ニホン語・ニホン文化の 独立運動で ある という 視点を 忘れては ならないと おもう。
(『カナノヒカリ』 686ゴウ 1979ネン)
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