「カナノヒカリ」 946ゴウ (2010ネン フユ)

トップページ > カナモジカイの主張 / 機関誌「カナノヒカリ」           


「改定常用漢字表」試案について考える

                                             フジワラ タダシ 


   
  「常用漢字表」は、文化審議会 国語分科会に よって 「見直し」が なされ、その トリマトメが すすめられて きたが、昨年(2009)、「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」として 公表され、この試案に 対する 「意見募集」が 3月16日から 1か月間 おこなわれた。 そして、この 試案に 「寄せられた御意見を踏まえて,必要な修正を加え」「「改定常用漢字表」に関する試案」が とりまとめられ、これに ついての 「意見募集」が 11月24日から 1か月間 おこなわれた。 文化審議会は 今後、今回 よせられた 意見を 集約し、コトシの 3月か 4月ごろには 文部科学大臣へ 答申する ミコミで ある。

  国民の 漢字使用の 「目安」と なる 重要な 漢字表で あるのに、なぜ こんなにも 性急に 結論を ださねば ならないのか。 その ことに おおきな 不信感を もたざるを えない。 カタチだけ 国民の 意見を きいた ことに して、わずかの 修正を くわえ、オオワクは 既定の 結論へ もって いこうと いうだけ では ないのか、と。

  しかも、今回の 「意見募集」では、「「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」からの 変更点に関連する御意見を中心に募集いたします。」と 公言して いるので ある。 変更点以外に ついては、きく ミミ もたぬ、と。

  それは それと して、今回の 変更点を みて みよう。

 1.まず、「基本的な考え方」に ついて。 ここでの 重要な 点は 「2 改定常用漢字表の性格」で 追加 された 「なお、情報機器の使用が一般化・日常化している現代の文字生活の実態を踏まえるならば、この漢字表に掲げる字のすべてを手書きできる必要はなく、また、それを求めるものでない。」 と いう クダリで あろう。

  この 内容は、当然と いえば 当然で あるが、一方で 「漢字を手書きすることの重要性」を のべて いる こと との 整合性を たもつ ための 配慮が ない。 「鬱」などの むずかしい 漢字が 追加された ことに よって、その ような 漢字に ついても テガキを する チカラが もとめられる という のは 誤解で ある、と いって いるに すぎず、どこまで テガキが できれば いいのか と いう 「目安」が しめされて いない。

  モチロン、テガキなど 全然 できなくて いいと いう ことは いって いない。 したがって、すくなくとも 児童・生徒には、漢字学習の 負担が 大幅に おもく なる 可能性が ある。 とりわけ 大学受験生に とっては。 「学習指導要領」では、高等学校の 3年間で、「常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字が書けるようにする」 ことを もとめて いる。 が、「主な」の 範囲が 明確に されて いない。 結果として、大学入試問題では、常用漢字全体から カキトリが 出題されて いる。 したがって、「鬱」の ような 漢字が 常用漢字に なれば、これらも かけなければ ならなく なりかねない。 漢字学習の 負担増も 文化審議会が 無関心で あっては ならない はずの 問題で ある。

 2.ツギに 字種の カズで あるが、わずか 4字を へらし、9字を ふやす と いう。 音訓も 追加される。 前回は、追加する 文字の うち 4字の 音訓を ふやしたが、今回は、さらに、現在の 常用漢字の うち 4字の 音訓も ふやされた。 暴挙と いう ほか ない。

 3.字体に ついては、許容字体が 通用字体と おなじ オオキサに なり、同時に 備考欄でも かさねて 許容字体を しめす ように なった とは いえ、おなじ 字種に 字体が 複数 ある と いう ことは、かならず 混乱を もたらすで あろう。

  変更点は、まだ あるが、省略する。

  国語は、国民 すべての 共有財産で あり、義務教育を おえた もので あれば、だれもが つかいこなせる もので なければ ならない。 したがって、字種や 音訓を ふやすの なら、また 字体に 変則を もちこむので あれば、慎重の うえにも 慎重を 期さなければ ならない はずで あるが、実際には そうは なって いない。

  情報機器の 進歩に よって、つかわれる 漢字が ふえたと しても、漢字を うちだすことが 以前よりは 楽に できる ように なった と いう ことで あって、情報の ウケテの 漢字の チカラが 向上した と いう ことを 意味する もの では ない。

  この 点を ふまえなければ、どんなに 議論を かさねても、「わかりやすく、通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」には、決して なりえない だろう。

                                        (2010/01/10)


このページのはじめへ