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漢字(かんじ)使(つか)うのは、日本語(にほんご)宿命(しゅくめい)か?
ユズリハ サツキ 
 【漢字廃止論への批判】
 ヤマトコトバには、文明の発展に対応するコトバが貧しく、造語力も乏しい。また、音韻も少ないから同音異義語が多く、カナでは区別できない。漢字・漢語を使うのは、日本語の宿命といえるのではないか。

 【反論】
 まず、思考実験をしてみましょう。
 日本列島は、中国大陸のすぐ東にあります。そして、中国大陸では、高度の文明が築かれていました。日本が中国の文明の影響を受けたのは、自然の流れで、中国の文字である漢字を受け入れたことにも必然性があったといえます。しかし、この「必然性」は、最初に述べた地理的な条件など ―― それは、まったく偶然のもの ―― を前提とするので、真の必然性とはいえません。

 仮に、日本列島が地中海にあったとしましょう。遠い中国大陸から漢字を輸入することは、考えられません。当然、地理的に近い、地中海沿岸で使われていたアルファべットのいずれかが日本語を書き表わす文字として取り入れられたでしょう。もし、漢字擁護論者がいうように、日本語の発展が漢字なしではありえない、とするならば、日本語は滅びてしまっていたことでしょう。しかし、日本語はそのように生命力の弱い、劣った言語なのでしょうか。

 言語というものは、そのような硬直したものではなく、柔軟性に富んだものなのです。表音文字であるアルファベットで書かれた日本語であっても、その条件のもとで発展していったに違いありません。日本語には文化的なコトバが発達していなくとも、それらはおのずから生み出されていったことでしょう。ヤマトコトバを使って、または、外国のコトバ(外来語)を取り入れて。

 どのような言語でも、文明の発展とともにコトバにあらたな命を吹き込んできたのであって、始めから高い文明を担っていたわけではありません。たとえば、「コンセプト(concept)」というコトバは、語源をたどれば、「con」は英語の「with」、「cept」は「take」にほぼ相当するラテン語からきているので、ごく日常的なコトバだったということが分かります。

 近代的な物事を表わすコトバが必要になれば、たとえば、「鉄道」ならば、「カナミチ」でいいでしょうし、「空港」は、「ソラト」と表わすことができます。「ミナト」は、「ミズの門」という意味ですから、「ソラの門」は「ソラト」です。ヤマトコトバに造語力がない、なとどいうことはありません。

 次に、日本語に同音異義語が多いのは音韻が少ないから、という主張について。これは誤解であって、逆に、漢字を取り入れたことによって同音異義語が多く生まれたのです。ここで詳しくは書けませんので、ごく簡単にふれます。

 漢字の音は中国語のコトバそのものなのですが、中国語のオトの組み合わせには中国語特有のルールがあって、非常に制限されたものになっているので、それを日本語式の音にすると音節の組み合わせは極端に限られたものになります。たとえばコで始まる音節は「コウ(コー)」(「公」など)、「コク」(「告」など)、「コツ」(「骨」など)、「コン」(「今」など)の4つだけになってしまっています。本来、日本語の音節の組み合わせはこんな窮屈なものではありません。これは中国語と日本語のオトの組み立て方の違いが原因になっているので、日本語の音韻の種類が少ないというだけでは決してこうはなりません。

 日本語の音節の組み合わせとしては、「コ」のあとにどんなオトが来てもおかしくはありません。「コイ」「コエ」「コケ」「コシ」「コチ」「コテ」「コト」「コナ」「コマ」「コメ」など、2音節の名詞だけを挙げてみても、漢語ではありえない色々な オトのコトバができることがお分かりのことと思います。

 結論をまとめますと、日本語で漢字を使っているのは、日本列島が中国大陸に地理的に近いところに位置していた、また、その中国大陸で進んだ文明が栄えていた、という偶然によるものであり、日本語で漢字を使わなければならない必然性は、論理的にはまったくありえないということです。

 (『カナノヒカリ』 944ゴウ 2009ネン ナツ)

(このページおわり)