「カナノヒカリ」 942ゴウ (2009ネン フユ)         

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国語国字問題Q&A

コトバや文字は、人間が手を加えてはいけないものか?

                                             ユズリハ サツキ 


   
   コトバや 文字と いう ものは、自然に 変化して いく もので あるから、人間が テを くわえて 改革する と いう ことは あっては ならないの では ないか。

  
 おっしゃる ように、コトバも 文字も これまで 自然に かわって きましたし、これからも そう でしょう。 しかし、「自然に」と いう ことを、コトバや 文字 それ 自体が もつ、「人間の 意志を こえた チカラ」に よる ものの ように とらえ、だから 人間が テを ふれては ならないのだ、と かんがえる ならば、それは マチガイ です。

  「自然に」 かわった、と いっても、それは 実は、人間が かえて きたの です。 しかし、それは、意識的に かえようと して そう なったの では ないので 「自然に」と 表現して いるに すぎません。 参考までに 例を あげますと、発音の 変化は、特定の 社会階層が あたらしく あらわれた オトに 対して 権威を 感じた ときに、それを ミに つけようと して おこる 現象だ、と かんがえられて います。

  コトバや 文字の 変化は、「自然に」 おこる ことで あっても、あくまでも 人間に よって なされるの ですから、当然 「意識的・人為的に」 おこなう ことも できる はず ですし、実際 おこなわれて きたの です。 「共通語」 あるいは 「標準語」と よばれる、東京弁を モトと した 「アナウンサーが はなす 日本語」も 実は かなり ヒトの テが くわえられた 「人工語」なの です。 また、「ひらがな」の 字体の 統一も 明治時代に なってから 文部省に よって なされたの です。 (正式な 「ひらがな」に ならなかった ものが 「変体がな」と よばれる もの です。) そして、戦後の 国語改革 です。

  このように、コトバや 文字は 「意識的・人為的に」 かえる ことが できる。 これは、うたがう 余地が ありません。 問題は、それを どう 評価するか、と いう こと です。

  人間は、環境に はたらきかけて いく ことに よって、文化を きずきあげて きました。 カワは 自然に ながれて います。 しかし、そのままに して おいては、洪水 などが おきて おおきな 被害を うける ことに なります。 そこで 人間は、カワの ナガレを かえたり、ふやしたり、ドテを きずいたり して 自分たちを まもり、また、カワを より 便利に 利用しようと して きました。 これが 文化と いう もの です。

  コトバや 文字も また、人間が うまれて から 獲得する 環境で あり、したがって、これに はたらきかけ、より よい ものに して いく ことは 文化なの です。 これを 否定する ことは、自然の ままの カワに テを くわえては いけない、と 主張するのと おなじ ことで あって、文化の 否定で あると いわざるを えません。 ナリユキ〜マカセは 文化に 反する もの です。 モチロン、治水が 自然の 物理法則に のっとった もので なくては 成功しない ように、コトバや 文字の 改革も、むずかしい 漢字が 略字に とって かわられる、と いう ような 自然の ナガレに そった もので なくては なりません。

  ところが、コトバや 文字が 「自然に」 かわって いくのは 当然だと しながら、意識的・人為的に かえて いく こと には ガンと して 反対する ヒトビトが います。 この ヒトタチは 戦後の 国語改革を クチを きわめて 非難します。

  たしかに、コトバや 文字が 変化する と いう ことは、それが 合理的な 方向へ すすむ もので あっても 規範を くずす ことに なります。 規範を くずす ことが のぞましく ない と いう こと には、一理は あると いえます。 (戦前の 「規範」が 規範たりえたか、と いう ことが 問題なの ですが、ここでは ふれません。) にも かかわらず、この ヒトタチの おおくは、たとえば、「ら抜きコトバ」は 「自然な」 変化 だから、と いう 理由で、規範を おおきく やぶる もので あるにも かかわらず 反対 しないの です。 しかも その ムジュンには クチを つぐんで います。

  つまり、この ヒトタチの コトバや 文字に 対する ミカタは、自分が ならいおぼえた こと だけに とらわれた 観念なので あって、コトバや 文字の 歴史性、そう とおく ない 明治時代に おこなわれた ハナシコトバの 全国共通化や 「ひらがな」の 統一 などの 「意識的・人為的」な 変化が もたらした 恩恵 など、から まなぼうと せず、また、日本語表記の 不合理さに ついて 問題意識を もとうとも しない ヒトビト、文化を まもって いる つもりでも、実際は 文化の 否定を おこなって いる ヒトビト なの です。