カナモジカイ(公式サイト)
トップページ > 質問・批判に答える

ローマ()か、カナモジか
ユズリハ サツキ 
 漢字を廃止するのなら、かな文字ではなく、国際性のあるローマ字を国字にしてはどうか。

 漢字廃止論者の中には、カナモジ専用論ではなく、ローマ字化(ローマ字国字論)を主張する人がいます。カナモジカイの会員でありながら、最終的にはローマ字化をめざすべきだ、とする人もいます。ここでは、カナモジ専用論の立場から、カナモジカイの伝統的な考え方を参考にしつつも、あくまでわたし個人としての主張をもってお答えとします。

1.「国際性」の虚構
 ローマ字論の論拠のひとつは、その「国際性」です。たしかにローマ字(ラテン・アルファベット)は世界でもっとも広く使われています。しかし、それ以外の文字を使っている人々も決して少なくありません。これは、国連の公用語である英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語の6言語のうち、ローマ字で表記しているのは半数に過ぎないということを指摘すれば十分でしょう。したがって、日本語をローマ字化する理由にはなりえません。
 なお、その「国際性」にしても実は見かけに過ぎないといえます。なぜなら、字形には国際的共通性を認めることができても、発音はそうではない、ということです。なかでも中国語のローマ字表記であるピンインは、あまりにも思いがけない読み方をするので驚く人も多いでしょう。(さらにいえば、その見かけの共通性すら完全なものではありません。言語によって異なる符号(アクサン記号やウムラウト記号など)を付け加えているからです。)
 このことは、日本語をローマ字化したときには、困ったことをもたらします。「カルチャー(culture)」は国際的なコトバであり、日本語にもなっている、といえるでしょうが、これをローマ字化すると「karutya」(または「karucha」)となり、無残な姿に変わり果て、国際性は跡形もなく消え失せる、という皮肉な結果になります。人名は原語のツヅリで書くことになるのでしょうが、「Bernstein」さんはどう読むのか?  アメリカ人なら「バーンスタイン」さんですが、ドイツ人なら「ベルンシュタイン」さんです。国籍がわからないと読み方もわからない。漢字のようにタチの悪いヤッカイなものを日本語に持ち込むことになります。
 また、いうまでもないことですが、日本語をローマ字で書いたからといって、日本語を知らない外国人が理解できるわけではなく、正しく読むことさえできません。日本語を学ぼうという外国人には、はじめは違和感を感じさせないというメリットはあるかもしれませんが、すぐに自分の母語などと日本語のローマ字の発音の違いにとまどうことになるでしょう。その点では、むしろカナの方が混乱をおこさなくてすみます。日本語を学ぶ意欲のある人ならば、数の限られたカナを覚えることなど大した負担ではないはずです。ローマ字化が 日本語の国際化に役立つなどというのも幻想です。
 では、日本語のローマ字化、すなわち、見かけの「国際化」にメリットはまったくないのか、というと、そうともいいきれません。漢字やカナをやめてローマ字だけを使うことにすれば、実務上のコストの削減が見込まれます。しかし、次に述べるように、文字といえども文化です。もし、文化よりも経済性を優先させることが正しいならば、日本の国語(公用語)としては、日本語を廃止し、英語を採用する、というところまでいかなければ、一貫した主張とはいえないでしょう。
 ここまで見てきたように、本来民族的な性格を持つ日本語に外見だけの中途半端な国際性を装わせることは意味のない ことだ、といわざるを得ません。

2.尊重されるべきは、文化の多様性
 ローマ字以外の固有の文字を用いる言語を使っている人々は、自分たちの文字に誇りを持ち大切しています。それは、たとえば、隣の韓国・朝鮮でかれらの言語に使う文字を「ハングル(偉大な文字)」、「ウリグル(われわれの文字)」と呼んでいることにも示されています。また、アラビア文字は信仰とも結びついていますから、神聖な侵すべからざるものでしょう。それに引きかえ、わが国では、日本固有の文字であるカナが外来の文字である漢字のソエモノのような扱いをされているのは、何と情けないことでしょう。
 現代は、文化の多様性が尊重される時代です。わたしたちには、日本で発明され、はぐくまれてきた、カナという伝統文化があります。この固有の文化を大切に守っていってこそ、日本語は世界から尊重されるのではないでしょうか。

3.どのような文字が優れているのか
 わたしはカナは伝統のある固有文化であるといいました。しかし、それだけがカナ専用論をとなえる理由ではありません。たとえ、伝統があろうと、合理性がなければ採用すべきではありません。日本語を書き表す文字としての性能、それこそが決定的なのです。
 ローマ字もカナもともに「表音文字」ですが、カナが音節を表わす「音節文字」であるのに対し、ローマ字は、よりこまかく音素まで分解した「単音(音素)文字」である、という違いがあります。文字は、おおむね「表語(表意)文字」から「音節文字」、そして「単音文字」へと 発達してきました。このことを理由に、音節文字であるカナが単音文字よりも劣ったものであるかのように主張する人がいますが、これは誤りです。
 世界中で共通に使われる文字として、算用数字(アラビア数字)があります。これは表語文字ですが、数字を記述する 文字として優れたものであることは議論の余地がありません。
 表語文字、音節文字、単音文字のどれによるべきかは、何を書き表すのかということによって判断されなければなりません。
 日本語を書き表わす文字として、どの文字が優れているかは、日本語の音節が少ない(数え方にもよるが、約100)、という性質をふまえたうえで考えなければなりません。音節が少ないから、それを表わす音節文字であるカナも基本的な字母は50足らずですむのです。ローマ字よりは多いとはいえ、かんたんに覚えられる字数です。一方、英語の音節の 数は、3000以上といわれていますから、音節文字で書き表わすのはとうてい無理で、単音文字によらざるを得ません。

4.秀でたカナの能率
 まず、書く場合を考えてみましょう。カナならばヒネル音(拗音)を除き、1字ですみます。(カ、サ、タ、ナ、ハ) 一方、ローマ字では多くの場合、2字が必要になります。(ka、sa、ta、na、ha) 手書きのときも、キーボードで入力するときも、カナのほうが効率的であることは、いうまでもありません。実際、速記タイピングは、カナで しかできません。「親指シフト」のように、キーボード配列を改良すれば、入力効率をさらに上げることができるでしょう。
 パソコンでビジネスの文書を作るときなど、通常の入力作業であれば、覚えるキーが少なくてすみ、英語などのタイピング技能がそのまま使えるローマ字での入力が手軽ですが、スピードが要求される作業では、カナが断然まさっています。

5.優れたカナの読みやすさ
 次に、読みやすさを比べてみましょう。日常生活では、書くことよりも、読むことの方が多いので、こちらの方がずっと重要です。
 ローマ字は、英語などを書き表わすには読みやすい文字です。このローマ字の読みやすさは、語形を作る力の働きによって可能になっています。たとえば「hot」というコトバは、「h」「o」「t」と1字ずつ読んでいるのではなく、ひとめで 「hot」という語形全体をみて理解しているのです。
 ところが、日本語をローマ字で書くときには、この力が働かず、むしろ逆の結果になってしまいます。これは、ひとつは、3で述べたように、もともと日本語の音節が少ないことが原因です。音素(音韻)の数が少ないため、語形を作る字母が19しかありません(訓令式ローマ字の場合)。また、音節の多くが子音と母音それぞれ、ひとつずつでできているので、子音と母音が代わる代わる現われることになり、変化が乏しくなるため、ほかのコトバと区別する力発揮できず、読み取ることが大変に難しくなるのです。
 たとえば、「hana」「hama」「hane」「hone」などとなって、まぎれやすい。そのうえ、コトバを表わすのにカナの約2倍の字数を必要とするので、字ヅラも長くなり、非常に読みづらいものになるのです。
 これに対し、カナモジ論者は、読みやすい、すなわち語形を作る力の強いデザインのカナ(「アラタ」など)を生み出し 、実用上十分な性能を実現したのです。

6.ローマ字にも良いところはあるが……
 ローマ字論者が主張するように、ローマ字にも長所があることを認めることはヤブサカではありません。
 それは、文法の説明がしやすい、ということです。用言の活用を説明するのに、カナでは語幹と活用部の区別がうまくできませんが、ローマ字ではハッキリと表わすことができます。たとえば、「来る」の活用は、「k-onai」「k-imasu」「k-uru」となり、語幹が「k」であることが明らかになります。
 また、音声教育にも大変に役に立ちます。「サ」という音節は「s」という子音と「a」という母音から成り立っていることがよく理解できます。
 しかしながら、これらの効用も、日本語を言語として学ぶときに限られるものですし、いったん理解してしまえば、あとは50音図でも役目を果たすことができます。ローマ字については、わたしも補助的な文字として用いることは、有益なことと考えますが、日常使う文字としての実用性は、とりわけ5で述べた読みづらさのため、カナには遠く及びません。

7.日本語を映し出す文字として
 6では、日本語の性質との関わりでローマ字のすぐれてところについて述べましたが、この分野でもカナの方がまさっている点があります。それは、濁音と半濁音による表わし方です。
 「タナ」と「ホンダナ」の「ダナ」の関係は、音声は変化していても、字の上では濁点を伴わせてハッキリと示すことができます。「tana」「dana」ではこの関係が見えません。
 ローマ字論者は、「b」音は「h」音ではなく「p」音の有声音であるから、「ハ」行のカナに濁点をつけて表わすのは理屈にあわないといって非難します。 しかし、日本語の使い手の頭の中では、「バ」は「ハ」の濁ったオトであり、「パ」もまた「ハ」の変化したオトなのです。したがって、「テブクロ」の「ブ」、「イジッパリ」の「パ」は日本語としてまったく自然なカタチなのです。文字は、音声ではなくコトバを映し出すべきものですから。

8.日本語を改良する戦略として
 ローマ字論者もカナモジ論者も漢字に頼らない日本語をめざす、という点では一致しています。問題は、それをどうやって実現するか、です。ローマ字論者は、現在の漢字カナ交じり文とローマ字文を共存させて使っていけば、いずれはローマ字文の便利さが認められ、ローマ字文が一般的になるだろう、と考えているようですが、これは果たして現実的でしょうか。はなはだ疑問です。
 カナモジ論者は、漸進主義の立場をとります。漢字を完全に廃止するためには、耳で聞いてわからないコトバの整理などの条件を整えていく必要があります。それは、現在の漢字カナ交じり文に、少しずつテアテを施していくことによって、はじめて展望がひらけてくるのです。段階的に漢字を減らし、悪いコトバをなくし、分かち書きを広めていく、ということです。これは、ローマ字化にとっても必要な条件を作り出すことです。ローマ字論の立場に立つ方々にも、まずはカナモジ専用化の運動に参加することの重要さをぜひ理解していただきたいと思います。

 (『カナノヒカリ』 938ゴウ 2008/フユ)(一部あらためた。)

(このページおわり)