文字言語は残るものであるから、変えてはいけないか?
ユズリハ サツキ
【国語改革への批判】
音声言語はその場で消えてしまうが、文字言語は残るものであるから、一定の書き方をすれば、時代を超越したものとなる。だから音声言語の変化にかかわりなく、文字言語の書き方は変えてはいけないものではないか。
【反論】
そのようにして文字言語が時代を超越して理解されるものになるとすれば、理想かもしれませんが、それは現実にはありえないこと、幻想です。
そのように主張している人々の中には、旧漢字や旧かなづかいをいまだに使っている人がいます。しかし、本当に永遠に通じる文章を残そうとするならば、「一定の書き方」(漢文なり、文語文なり)で書かなければならないはずですが、そこまでしている人はいません。
ヨーロッパでは、15、6世紀までは、学術の分野での共通する文字言語としてラテン語が用いられていました。しかし今では後世の読者のためにラテン語で文章を書く人はいません。日本での漢文、文語文も同じく過去のものです。
質問者の主張は、結局は日本語の改革に反対するための言いがかりにしかならない、現実とはかけ離れたものなのです。
後世に文章が残るか否かは、どのような言語で書かれているか、ではなく、何が書かれているか、によって決まるのです。その内容が普遍的な価値があるものであれば、必ず未来の読者に読み継がれることになるでしょう。言語が移り変わり、そのままでは理解することができなくなれば、翻訳が行なわれるでしょう。原文にあたるのは、専門家の仕事です。
わが国の文章についていえば、万葉集や源氏物語をはじめ多くの作品が、現代人にはいかに読みにくくとも、古典として伝わっており、現代文への翻訳も行なわれている、という事実を思い起こしてください。
(『カナノヒカリ』 951ゴウ 2011ネン ハル) (一部書き改めた。)
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