【漢字廃止論への批判】
カナモジカイは、漢字の学習の負担ということを強調するが、現実の子どもたちは喜んで漢字を学んでいる。学習の負担を軽くするなど必要ないことではないか。
【反論】
1.子どもたちが喜んで漢字を学んでいるということについては、どのような根拠を基にそう結論づけていらっしゃるのでしょうか。漢字検定の受験者が多いことでしょうか。受験する子どもたちがみんな好んでそうしているとは断定できません。強制されて受験する子どももいるでしょう。漢字の得意な子どもは少なくないかもしれませんが、そうでない子どもの本音は、普通大きな声で聞こえることはありません。声なき声も聞く必要があります。
漢字の学習についての調査(*)の結果があるのですが、約90%の小・中学生が漢字は日常生活の中で必要だ、と答えた一方、漢字の学習が好きだ、と答えた小・中学生は半数程度にとどまっています。家庭で漢字の学習を一生懸命やっている、と答えた子どもはさらに少なくなっています。
質問者の認識については、おおいに議論の余地があると思います。
2.わたしは、子どもたちが漢字の学習にまったく喜びを感じていない、とは申しません。漢字を覚えるにしたがって、それまで分からなかった周りの文字の意味が分かってきます。それは、未知であったおとなの世界に少しずつ近づいていくことであり、それが喜びであることは当然です。ただし、それは、おとなの世界で漢字が使われているという現実の反映であるにすぎず、漢字そのものの本質とは別の事柄です。
3.学校では、教師たちは子どもたちに対する漢字の教育に力をいれるよう要請されています。教師たちは、色々な工夫をこらし、その要請に応えようとしています。そうでなくとも、漢字の学習が学校のカリキュラムにある以上、授業で教えられ、テストも受けます。漢字を力を入れて学習した子どもは良い評価を受けるでしょうから、達成感を感じることになります。また、教師や親にほめられることも喜びでしょう。しかし、これも、学校で漢字を教えているという事実の反映以外のものではありません。
4.日本の社会は、学校の外でもテレビ放送などを通じて、あたかも漢字が特別な価値を持つ文字であるかのように宣伝しています(論証なしで、または、間違った論証のもとで)。子どもたちが無批判にそれを信じてしまうのは自然の成り行きです。その結果、漢字を多く覚えること自体が子どもに対して満足感を与えることになります。これも、漢字の真の本質とは離れたところにある問題です。
5.2~4で述べてきた状況にもかかわらず、すべての子どもたちが喜んで漢字を学習しているとは限らないことは言うまでもありません。また、子どもたちが喜んですることが無条件にいいことなのだ、などと言えないことももちろんです。ゲームに夢中になってほめられることは、まずないでしょう。漢字の本質を理解すれば、漢字の学習にエネルギーや時間を多く費やすことがいかにムダなことか分かるはずです。
6.最後に、ご質問への直接の回答になりますが、仮に本当に多くの子どもたちが喜んで漢字を学んでいるとしても、その負担が重くないということを意味するわけでは決してありません。先ほどの調査結果を見ると、子どもたちが家庭での漢字学習に多くの時間を充てていることが分かります。1日30分以上1時間未満が小4で26.6%、中3で13.7%、1日1時間以上が小4で17.7%、中3で10.9%。小4では、およそふたりにひとりが、中3でも4人にひとりが1日30分以上家庭で漢字学習をしています。これは、重い負担ではないでしょうか。漢字学習の負担を軽くする必要がない、などとどうして言えるでしょうか。
*文部科学省の国立教育政策研究所が2005年1・2月に実施した「特定の課題に関する調査(国語,算数・数学)」『カナノヒカリ』2007年ハル号「
日常つかわない漢字が不得意? ―― ならばどうする」を参照。
(『カナノヒカリ』 948ゴウ 2010ネン ナツ)