漢字の廃止がもたらすものは、文化の断絶・破壊か?
ユズリハ サツキ
【漢字廃止論への批判】
漢字を廃止したら過去の文献が読めなくなってしまう。これは文化の断絶、破壊ではないか?
【反論】
わたしたちは、漢字をこの世から抹殺しようなどと考えているわけではありません。わたしたちの主張は、日常生活では漢字なしで済ませよう、ということです。ですから、そのような時代になっても、しばらくは、漢字の「読み」は学校で教えられるでしょう。
学校で漢字を教えるのであれば、カナモジ論の論拠のひとつである学習の負担の軽減はできないではないか、とお考えになるかもしれませんが、漢字の「読み・書き」を学ぶのと「読み」だけを学ぶのとでは、必要な時間、労力がまったく違います。おそらく数分の1の時間、労力で済むでしょう。不要となった「書き」の学習の時間を別の有用な事柄の学習に充てることができます。今は、「読み・書き・ソロバン」さえできればいいという時代ではありません。学ぶべきことは文明の発展とともにますます増えていきます。かぎられた時間を有効に使うべきです。
また、過去の文献にはフリガナを用いることにすれば、「読み」の学習さえ要らなくなるでしょう。読みが分かるだけでは理解できない難しいコトバには注釈を添えればいいことですし、コンピューターも文献の保存や解釈の上での大きな助けになるでしょう。
ついでに「漢文」について簡単に触れておきます。「漢文」とは、文語の中国語にほかならず、それを日本流に読み下すのでは正確な解釈など不可能です。中国語として学ぶか、翻訳されたものを読むのが正しい「漢文」の学習というものです。
(『カナノヒカリ』 933ゴウ 2006ネン アキ) (一部書き改めた。)
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