「カナノヒカリ」 949ゴウ (2010ネン アキ)         

トップページ > 機関誌「カナノヒカリ」 / カナモジカイの主張 /  国語国字問題Q&A 


国語国字問題Q&A

漢字なくして文学はありえないか?

                                             ユズリハ サツキ 


   
   ただ 単に モノゴトを つたえれば いい 新聞・雑誌や 事務文書ならば、あるいは カナだけで 文章を かきあらわせる かも しれないが、芸術で ある 文学には 漢字の 表現力や アジワイは かかせない ものでは ないか。


  
 なるほど、美術家に あらゆる 素材、カタチ、イロなどを つかう 権利が ある ように、文学者にも あらゆる 文字を つかう 権利が ある、と 主張されれば、それは 否定しがたい ように おもわれます。

  しかし、コトバや 文字は 文学の ために だけ 存在して いるのでは ありません。 文学 以前に、スベテの ヒトビトが 生活して いく ための 共通の 基盤と なって いる もの です。 文学が 多少なりとも 大衆的に うけいれられる ためには、おのずと 制約が ある はず です。

  とは いえ、少数の ヒトタチに しか 理解できない 美術品が あっては いけない と いう 理由が ない ように、無制限の 漢字を もちいて、少数の 読者にしか よめない ような 文学作品が あっては いけない と いう 理由も ない でしょう。

  だからと いって、漢字を タクサン つかえば、それだけ 芸術性も 向上する などと かんがえる ヒトが いる ならば、ちょっと まって ほしい、と いわざるを えません。

  たとえば、「かなしい」と いう コトバは 感情の ニュアンスに よって、いくつかの 漢字で ツカイワケを する ことが できます。 しかし、感情の 微妙な イロアイを デキアイの 漢字の ツカイワケで すませて しまう と いう ことは、安易な ヤリカタ では ない でしょうか。 むしろ、情景を みがかれた 描写に よって 表現して こそ より こまかい イロアイを あらわす ことが できるの では ない でしょうか。 それこそが 文学の アリカタでは ない でしょうか。

  「かなしい」と いう 感情の ニュアンスは、その バアイ バアイに よって すべて ことなる と いっても いい でしょう。 したしい ヒトと しにわかれて、コイビトに ふられて、オヤに しかられて、病気に なって、うらぎられて・・・。 「かなしい」と いう コトバを 「悲」、「哀」などの 漢字で かきわけようと しても、無限に ことなる 「かなしい」の チガイを あらわす には とても たりません。 無限の 情景を 有限の 漢字で あらわす ことなど できないの です。

  また、文学作品は ただ メで よまれる だけで なく、朗読を きいたり、演劇として 演じる 俳優の コエを きいたりして 観賞する ことも ありますから、漢字を みなければ わからない 表現などは、不完全な ものと いわざるを えないの です。 それに 視覚の 障害などの ために 漢字が よめず、点字や 録音図書などを つかって いる ヒトビトも おなじように 理解できる もので あることが のぞましい こと です。

  文学の 発展が 漢字に よらずとも なされる と いう ことは、歴史的にも 証明されて いる ことにも 気づいて ほしい もの です。 紀貫之の 『土佐日記』や 紫式部の 『源氏物語』などは、それ自体が 大傑作で ある ばかりで なく、日本文学のみ ならず 日本語 そのもの にも おおきな 影響を あたえ、その 進歩に 偉大な 貢献を したでは ありませんか。

  また、漢字圏 以外でも アマタの 偉大な 文学作品が うみだされて いるの ですから、漢字なくして 文学が ありえない などと いうのは、文学論以前の タワゴト だとしか いえません。 「日本語に かぎっては」 などと いう ヒトには、それは 「日本語は 表音文字を もちながら 漢字なしでは 自立しえない のろわれた 世界で 唯一の 言語 なのだ」 と いって いるのに ひとしい ことに 気づいて いただきたい。

  表現力の 問題を ヌキに しても、漢字には 独特の アジワイが あるでは ないか、と いう ヒトが いる かも しれません。 たとえ そうだと しても、漢字の アジワイが 文学の 絶対的な 条件で ある などと いえない ことは、いままで のべて きたことで アキラカで あると おもいます。

  文学者を はじめ、漢字に つよい 愛着を もつ ヒトビトが すくなく ない ことは、承知して いますが、その ヒトビトには、コトバや 文字の ヤクワリは、ウエに のべた ように ヒトビトが 生活して いく ための 共通の 基盤で ある ことが 第一義的な もので あることを 理解して いただきたい と おもいます。