「カナノヒカリ」 944ゴウ (2009ネン ナツ)         

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国語国字問題Q&A

漢字を使うのは、日本語の宿命か?

                                             ユズリハ サツキ 


   
   ヤマトコトバには、文明の 発展に 対応する コトバが まずしく、造語力も とぼしい。また、音韻も すくないから 同音異義語が おおく、カナでは 区別できない。 漢字・漢語を つかうのは、日本語の 宿命と いえるの では ないか。

  
 まず、思考実験を して みましょう。

  日本列島は、中国大陸の すぐ ヒガシに あります。 そして、中国大陸では、高度の 文明が きずかれて いました。 日本が 中国の 文明の 影響を うけたのは、自然の ナガレで、中国の 文字で ある 漢字を うけいれた こと にも 必然性が あったと いえます。 しかし、この「必然性」は、最初に のべた 地理的な 条件など ―― それは、まったく 偶然の もの ―― を 前提と するので、真の 必然性とは いえません。

  かりに、日本列島が 地中海に あったと しましょう。 とおい 中国大陸から 漢字を 輸入する ことは、かんがえられません。 当然、地理的に ちかい、地中海沿岸で つかわれて いた アルファべットの いずれかが 日本語を かきあらわす 文字と して とりいれられた でしょう。 もし、漢字擁護論者が いう ように、日本語の 発展が 漢字なしでは ありえないと するならば、日本語は ほろびて しまって いた こと でしょう。 しかし、日本語は そのように 生命力の よわい、おとった 言語なの でしょうか。

  言語と いうものは、そのような 硬直した ものでは なく、柔軟性に とんだ もの なの です。 表音文字で ある アルファベットで かかれた 日本語で あっても その 条件の もとで 発展して いったに ちがい ありません。 日本語には 文化的な コトバが 発達して いなくとも、それらは おのずから うみだされて いった こと でしょう。 ヤマトコトバを つかって、または、外国の コトバ(外来語)を とりいれて。

  どのような 言語でも、文明の 発展と ともに コトバに アラタな イノチを ふきこんで きたので あって、ハジメから たかい 文明を になって いた わけでは ありません。 たとえば、「コンセプト(concept)」 と いう コトバは、語源を たどれば、「con」は 英語の「with」、「cept」は「take」に ほぼ 相当する ラテン語から きて いる ので、ごく 日常的な コトバだった と いう ことが わかります。

  近代的な モノゴトを あらわす コトバが 必要に なれば、たとえば、「鉄道」ならば、「カナミチ」で いい でしょうし、「空港」は、「ソラト」と あらわす ことが できます。 「ミナト」は、「ミズの 門」と いう 意味 ですから、「ソラの 門」は 「ソラト」 です。 ヤマトコトバに 造語力が ない なとど いう ことは ありません。

  ツギに、日本語に 同音異義語が おおいのは 音韻が すくないから、という 主張に ついて。 これは 誤解で あって、逆に、漢字を とりいれた ことに よって 同音異義語が おおく うまれたの です。 ここで くわしくは かけませんので、ごく 簡単に ふれます。

  漢字の 音は 中国語の コトバ そのもの なの ですが、中国語の オトの クミアワセには 中国語 特有の ルールが あって、非常に 制限された ものに なって いるので、それを 日本語式の 音に すると 音節の クミアワセは 極端に かぎられた ものに なります。 たとえば コで はじまる 音節は 「コウ(コー)」(「公」など)、「コク」(「告」など)、「コツ」(「骨」など)、「コン」(「今」など)の 4ツだけに なって しまって います。 本来、日本語の 音節の クミアワセは こんな 窮屈な ものでは ありません。 これは 中国語と 日本語の オトの クミタテカタの チガイが 原因に なって いるので、日本語の 音韻の 種類が すくないと いうだけでは 決して こうは なりません。

  日本語の 音節の クミアワセと しては、「コ」の アトに どんな オトが きても おかしくは ありません。 「コイ」「コエ」「コケ」「コシ」「コチ」「コテ」「コト」「コナ」「コマ」「コメ」など、2音節の 名詞だけを あげて みても、漢語では ありえない イロイロな オトの クミアワセが できる ことが おわかりの ことと おもいます。

  結論を まとめますと、日本語で 漢字を つかって いるのは、日本列島が 中国大陸に ちかい ところに 位置して いた、また、その 中国大陸で すすんだ 文明が さかえて いた、と いう 偶然に よる もので あり、日本語で 漢字を つかわなければ ならない 必然性は、論理的には まったく ありえない と いう こと です。