「カナノヒカリ」 941ゴウ (2008ネン アキ)

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戸籍の漢字〜それは、家紋のようなもの

                                             フジワラ タダシ 


   
  前々号と 前号の 2回に わたり、ワタシは 戸籍に つかわれる 漢字の 字体の 問題を とりあげて きました。 戸籍事務の コンピューター化に ともない、 漢和辞典にも のって いない ような 異体字は 整理される とは いえ、今後も ヒトツの 字種に つき 複数の 字体が のこる ことを 説明しました。 また、この ことは、本人や マワリの ヒトビトに とって 不便な もので ある ことを のべました。 イチイチ 字体を 確認する と いう ことは、社会生活全体に 不効率を もたらす、と いう こと です。
  
  そこで ワタシは、戸籍に 旧字体など 一般的で ない 字体が のって いる ヒトは、新字体などの 一般的な 字体に あらためては どうか、と 提案しました。

  この ような 提案を すると、おおくの ヒトは、「自分の 氏名の 字は 戸籍に のって いるのが ただしいに きまって いる。 それを かえるなど とんでもない。」 と メを むいて 反発される こと でしょう。 しかし、その ような ヒトには よく かんがえて いただきたいの です。 おなじ 氏で あっても (たとえ ルーツが おなじで あっても)イロイロな 字体の 氏に わかれて しまったのは、ムカシの ヒトは 字体などには、執着して いなかった からでは ありませんか?

  それを なぜ イマの ヒトビトは、戸籍の 字体に こだわるのか。 合理的な 理由は みあたらない ように おもわれます。 戸籍と いえば、身分を アキラカに する 重要な ものには チガイありませんが、それに のって いる 字体は、ほとんどの バアイ、たまたま そう なっただけ でしょう。 特別な 意味など ありません。

  こう いっても 納得して いただくのは むずかしいと おもいますので、発想の 転換を して いただく ために、別の 角度から かんがえて いきたいと おもいます。

  ヒト ソレゾレの 価値観は 尊重されなくては なりません。 戸籍に のって いる 字体を 大切に する キモチ 自体は、非難される ような ことでは ありません。 ですから、それを すてろ、などとは もうしません。 イエの シンボルと して 大事に なさったら よろしいと おもいます。

  イエの シンボルと いえば、家紋と いう ものが あります。 家紋を とても 大切に している ヒトも いれば、まったく 関心の ない ヒトも います。 なかには、自分の イエの 家紋を しらない ヒトさえ いる でしょう。 戸籍の 字も 家紋と おなじ ように かんがえられない でしょうか。 必要なら 本人が しって いれば いい もので ある と。

  自分の イエの 家紋を 大切に する。 その ことは、なんら 問題は ありません。 しかし、ほかの ヒトに まで 自分の 家紋を おぼえる ことを 要求したと したら ・・・・・・。 アイテに とっては、実に 迷惑な ハナシ でしょう。

  「ワタシの ミョウジは 『澤』 です。 『高沢』 なんて かかないで ください。」 と 要求する ことは、「ワタシの 家紋は 『丸に桔梗』 です。 おぼえて ください。」と 要求するのと おなじ ことなのだ、と いっても イイスギでは ないと おもいます。

  さらに ハナシを すすめて、字は ことなるが 同音の 氏に ついて かんがえて みましょう。 これは、いくらでも あります。 たとえば、「川村」さんと 「河村」さん、「畑山」さんと 「畠山」さん。 「川」と「河」は 字は ちがって いても 同訓で 意味は かわりません。 また、字も その 意味も ちがうが 同音 と いう 氏も タクサン あります。 「清水」さんと 「志水」さん など。 「清」と「志」では 意味も ことなります。 しかし、氏の 字は アテ字で ある バアイが きわめて おおく、ルーツは おなじでも 字が かわって しまった ケースも めずらしく ありません。 ですから、どの 漢字を あてて いるかは、歴史的な 興味は ともかく、現実的な 意味は ありません。

  と いう ことは、氏名は、カナで かいても イッコウに サシツカエの ない もので ある、と いう こと です。 むしろ そう するのが、社会生活上、きわめて 便利なの です。 実際、カナでの 事務処理は、金融機関などで おこなわれて います。

  文字は、社会の 共有財産 です。 人名と いえども エゴイズムは ゆるされる べきでは ありません。 個々人の 戸籍上の 文字に 対する 愛着は 尊重されるべき ですが、それは、家紋と おなじく、必要なら 本人が しって いれば いい もの と かんがえなければ、問題は 解決しません。 異体字の 解消、さらには カナガキを めざしましょう。


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