「カナノヒカリ」 938ゴウ (2008ネン フユ)

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国語国字問題Q&A

ローマ字か カナモジか

                                             ユズリハ サツキ 


   
   漢字を 廃止するの なら、国字と して、かな文字では なく、国際性の ある ローマ字に しては どうか。

  
 漢字廃止論者の ナカには、カナモジ専用論 では なく、ローマ字化(ローマ字国字論)を 主張する ひとが います。 カナモジカイの 会員で ありながら 最終的には ローマ字化を めざす べきだ と する ひとも います。 ここでは、カナモジ専用論の タチバから、カナモジカイの 伝統的な カンガエカタを 参考に しつつも、あくまで ワタクシ 個人と しての 主張を もって オコタエと します。

 1.「国際性」の 虚構

  ローマ字論の 論拠の ヒトツは、その 「国際性」 です。 タシカに ローマ字(ラテン・アルファベット)は 世界で もっとも ひろく つかわれて います。 しかし、それ 以外に つかわれて いる 文字も 決して すくなく ありません。 これは、 国連の 公用語で ある 英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語の 6言語の うち、ローマ字で 表記している のは マエの 3言語に すぎない と いう ことを 指摘すれば 十分 でしょう。 したがって、日本語を ローマ字化 する 理由には なりえません。

  なお、その 「国際性」も 実は ミカケに すぎないと いえます。 なぜなら、字形には 国際的共通性を みとめる ことが できても、発音は そうでは ない、と いう こと です。 なかでも 中国語の ローマ字表記で ある ピンインは、あまりにも おもいがけない ヨミカタを するので おどろく ひとも おおい でしょう。 (さらに いえば、その ミカケの 共通性すら 完全な ものでは ありません。 言語に よって ことなる 符号 (アクサン記号や ウムラウト記号 など)を つけくわえて いるから です。)

  この ことは、日本語を ローマ字化 した ときには、こまった ことを もたらします。 「ライセンス(license)」は 国際的な コトバで あり、日本語にも なって いると いえる でしょうが、これを ローマ字化 すると 「raisensu」と なり、無残な スガタに かわりはて、コトバの 国際性は アトカタも なく なる、と いう ヒニクな 結果に なります。 人名は 原語の ツヅリで かく ことに なるの でしょうが、「Bernstein」さんは どう よむのか? アメリカ人なら 「バーンスタイン」さん ですが、ドイツ人なら 「ベルンシュタイン」さん です。 国籍が わからないと ヨミカタも わからない。 漢字の ように タチの わるい ヤッカイな ものを 日本語に もちこむ ことに なります。

  また、いうまでも ない こと ですが、日本語を ローマ字で かいた からと いって、日本語を しらない 外国人が 理解できる わけでは なく、ただしく よむ こと さえ できません。 日本語を まなぼうと いう ひとには、はじめは 違和感を 感じさせない と いう メリットは あるかも しれませんが、すぐに 自分の 母語などと 日本語の ローマ字の 発音の チガイに とまどう ことに なる でしょう。 その 点では、むしろ、カナの ほうが 混乱を おこさなくて すみます。 日本語を まなぶ 意欲の ある ひと ならば、カズの かぎられた カナを おぼえる ことなど たいした 負担では ない はず です。 ローマ字化が 日本語の 国際化に やくだつ などと いうのも 幻想 です。

  では、日本語の ローマ字化、すなわち、ミカケの 「国際化」に メリットは まったく ない のか と いうと、そうとも いいきれません。 漢字や カナを やめて ローマ字 だけを つかう ことに すれば、実務上の コストの 削減が みこまれます。 しかし、ツギに のべる ように、文字と いえども 文化 です。 もし、文化よりも 経済性を 優先させる ことが ただしい ならば、日本の 国語(公用語)と しては、日本語を 廃止し、英語を 採用する、と いう ところまで いかなければ、一貫した 主張とは いえない でしょう。

  ここまで みて きた ように、本来 民族的な 性格を もつ 日本語に 外見だけの 中途半端な 国際性を よそおわせる ことは 意味の ない こと だ、と いわざるを えません。

 2.尊重される べきは、文化の 多様性

  ローマ字 以外の 固有の 文字を もちいる 言語を つかって いる ひとびとは、ミズカラの 文字に ホコリを もち タイセツに しています。 それは、たとえば、トナリの韓国・朝鮮で かれらの 言語に つかう 文字を 「ハングル(偉大な 文字)」、「ウリグル(ワレワレの 文字)」と よんで いる ことにも しめされて います。 また、アラビア文字は 信仰とも むすびついて いますから、神聖な おかす べからざる もの でしょう。 それに ひきかえ、ワガクニでは、カナが 外来の 文字で ある 漢字の ソエモノの ような アツカイを されて いるのは、なさけない こと です。

  現代は、文化の 多様性が 尊重される 時代 です。 ワタシタチには、日本で 発明 され、はぐくまれて きた、カナと いう 伝統文化が あります。 この 固有の 文化を 大切に まもって いって こそ、日本語は 世界から 尊重されるの では ない でしょうか。

 3.どの ような 文字が すぐれて いるのか

  ワタシは カナは 伝統の ある 固有文化で ある と いいました。 しかし、それだけが カナ専用論を となえる 理由では ありません。 たとえ、伝統が あろうと、合理性が なければ 採用すべき では ありません。 日本語を かきあらわす 文字と しての 性能、それこそが 決定的なの です。

  ローマ字も カナも ともに 「表音文字」 ですが、カナは、音節を あらわす 「音節文字」で あるのに 対し、ローマ字は、より こまかく 音素まで 分解した 「単音(音素)文字」で ある、と いう チガイが あります。 文字は、おおむね 「表語(表意)文字」から 「音節文字」、そして 「単音文字」へと 発達して きました。 この ことを 理由に、音節文字で ある カナが 単音文字 よりも おとった もので あるかの ように 主張する ひとが いますが、これは アヤマリ です。

  世界中で 共通に つかわれる 文字と して、算用数字(アラビア数字)が あります。 これは、表語文字 ですが、数字を 記述する 文字と して すぐれた もので ある ことは 議論の 余地が ありません。

  表語文字、音節文字、単音文字の どれに よるべきかは、ナニを かきあらわす のか と いう ことに よって 判断されなければ なりません。

  日本語を かきあらわす 文字と して、どの 文字が すぐれて いるかは、日本語の 音節が すくない (カゾエカタにも よるが、約100)、と いう 性質を ふまえた うえで かんがえなければ なりません。 音節が すくないから それを あらわす 音節文字で ある カナも 基本的な 字母は 50 たらずで すむの です。 ローマ字 よりは おおい とは いえ、カンタンに おぼえられる 字数 です。 一方、英語の 音節の カズは、3000 以上と いわれて いますから、音節文字で かきあらわす のは トウテイ 無理で、単音文字に よらざるを えません。

 4.ひいでた カナの 能率

  まず、かく バアイを かんがえて みましょう。 カナ ならば ひねる音(拗音)を のぞき、1字で すみます。(カ、サ、タ、ナ、ハ) 一方、ローマ字では おおくの バアイ 2字が 必要に なります。(ka、sa、ta、na、ha) テガキの ときも、キーボードで 入力する ときも、カナの ほうが 効率的で ある ことは、いうまでも ありません。 実際、速記タイピングは、カナで しか できません。 「親指シフト」の ように、キーボード配列を 改良すれば、入力効率を さらに あげる ことが できる でしょう。

  パソコンで ビジネスの 文書を つくる とき など、スピードを それほど 要求されない 入力作業で あれば、おぼえる キーが すくなくて すみ、英語などの タイピング技能が そのまま つかえる ローマ字での 入力が テガルかも しれませんが、能率を 追求する ならば、カナが 断然 すぐれて います。

 5.すぐれた カナの ヨミヤスサ

  つぎに、ヨミヤスサを くらべて みましょう。 日常生活では、かく こと よりも、よむ ことの ほうが おおい ので、こちらの ほうが ずっと 重要です。

  ローマ字は、英語などを かきあらわす には よみやすい 文字 です。 この ローマ字の ヨミヤスサは、語形を つくる チカラの ハタラキに よって 可能に なって います。 たとえば 「hot」と いう コトバは、「h」「o」「t」と 1字 ずつ よんで いるのでは なく、ヒトメで 「hot」と いう 語形 全体を みて 理解して いるの です。

  ところが、日本語を ローマ字で かく ときには、この チカラが はたらかず、むしろ逆の 結果に なって しまいます。 これは ヒトツは、3で のべた ように、もともと 日本語の 音節が すくない ことが 原因です。 音素(音韻)の カズが すくない ため、 語形を つくる 字母が 19しか ありません (訓令式ローマ字の バアイ)。 また、音節の おおくが 子音と 母音 それぞれ ヒトツずつで できて いるので、子音と 母音が かわるがわる あらわれる ことに なり、変化が とぼしく なるため、ほかの コトバと 区別する チカラが 発揮できず、よみとる ことが 大変に むずかしく なるの です。

  たとえば、カナの 「ハナ」と 「フネ」は、ヒトメで 区別が つきますが、ローマ字では 「hana」「hune」と なって 区別しにくい。 「タナ」「タニ」「タネ」は、2字の うちの 1字が ことなる のに 対し、「tana」「tani」「tane」 では、4字の うち 1字が ことなる だけ なので、まぎれやすい。

  そのうえ、コトバを あらわすのに カナの 約2倍の 字数を 必要と しますので、字ヅラも ながく なり、非常に よみづらい ものに なるの です。

  これに 対し、カナモジ論者は、よみやすい、すなわち 語形を つくる チカラの つよい デザインの カナ(カタセンガナ)を うみだし、実用上 十分な 性能を 実現したの です。

 6.ローマ字にも よい ところは あるが ・ ・ ・

  ローマ字論者が 主張する ように、ローマ字にも 長所が ある ことを みとめる ことは ヤブサカでは ありません。

  それは、文法の 説明が しやすい と いう ことです。 用言の 活用を 説明するのに、カナでは、語幹と 活用部の 区別が できませんが、ローマ字では ハッキリと あらわす ことが できます。 たとえば、「書く」の 活用は、「kak-anai」「kak-imasu」「kak-u」 と なり、語幹が 「kak」で ある ことが アキラカに なります。 (ただし 例外も あります。)

  また、音声教育にも 大変に ヤクに たちます。 「サ」と いう 音節は 「s」と いう 子音と 「a」と いう 母音から なりたって いる ことが よく 理解 できます。

  しかしながら、これらの 効用も、日本語を 言語と して まなぶ ときに かぎられる もの ですし、イッタン 理解して しまえば、あとは 50音図でも ヤクワリを はたす ことが できます。 ローマ字に ついては、ワタシも 補助的な 文字と して もちいる ことは、有益な ことと かんがえますが、日常 つかう 文字と しての 実用性は、とりわけ 5で のべた ヨミヅラサの ため、カナには とおく およびません。

 7.日本語を うつしだす 文字と して

  6では、日本語の 性質との カカワリで ローマ字の すぐれた ところに ついて のべましたが、この 分野でも カナの ほうが すぐれて いる 点が あります。 それは、濁音と 半濁音に よる アラワシカタ です。

  「タナ」と 「ホンダナ」の 「ダナ」の 関係は、濁点に よって ハッキリと しめされます。 「tana」「dana」 では この 関係が みえません。

  ローマ字論者は、「b」音は 「h」音では なく 「p」音の 有声音で あるから、「ハ」行の カナに 濁点を つけて あらわすのは 理屈に あわない と いって 非難します。 しかし、日本語の ツカイテの アタマの ナカでは、「バ」は 「ハ」の にごった オトで あり、「パ」も また 「ハ」の 変化した オトなの です。 したがって、「テブクロ」の 「ブ」、「イジッパリ」の 「パ」は 日本語と して まったく 自然な カタチなの です。 文字は、音声では なく コトバを うつしだす べき もの ですから。

 8.日本語を 改良する 戦略と して

  ローマ字論者も カナモジ論者も 漢字に たよらない 日本語を めざす、と いう 点では 一致して います。 問題は、それを どうやって 実現するか、です。 ローマ字論者は、現在の 漢字カナまじり文と ローマ字文を 共存させて つかって いけば、いずれは ローマ字文の 便利さが みとめられ、ローマ字文が 一般的に なる だろう、と かんがえて いる よう ですが、これは はたして 現実的 でしょうか。 はなはだ 疑問 です。

  カナモジ論者は、漸進主義の タチバを とります。 漢字を 完全に 廃止する ため には、ミミで きいて わからない コトバの 整理などの 条件を ととのえて いく 必要が あります。 それは、現在の 漢字カナまじり文に、すこし ずつ テアテを ほどこして いく ことに よって、はじめて 展望が ひらけて くるの です。 段階的に 漢字を へらし、わるい コトバを なくし、ワカチガキを ひろめて いく、と いう こと です。 これは、ローマ字化に とっても 必要な 条件を つくりだす こと です。 ローマ字論の タチバに たつ かたがた にも、まずは カナモジ専用化の 運動に 参加 する ことの 重要さを ぜひ 理解して いただきたいと おもいます。