「カナノヒカリ」 930ゴウ (2006ネン フユ)

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カタカナ語言い換えの使い道

                                             イマイデ オツ 


   
 国立国語研究所がカタカナ語の言い換え提案4回目を発表するようだ。

 同研究所の言い換え提案はいままでのを見ても、私は言い換えの行き方がどうも違うと思っていたのだが、要するに一連の言い換えは役所が書類を作るときに使う言葉なのだろうということに気がついた。

 私は言い換えというので、国民が日常会話で使うものにするものと受け取っていたし、それを書類にも使うというのが当たり前だと思っていた。

 ところが、やっている行き方は言い換えによって書類に使うような言葉に整えるだけで、国民が日常会話で使うようなものでないし、しょせん、欧米系のものを中国系のものにしただけで、とちらにしてももとからの日本のものではない。

 おおやけの機関が先に立ってもとからの日本語を押しのけているのは何といったらいいのだろうか。

 そして、日常会話で使うものなら耳できいて分かりやすい和語をもっと取り上げるべきだし、カタカナ語も難しくないものならわざわざ漢語にしなくてもいいとおもう。

 そして、しきりに理解率を表示しているのだが、社会の新しい概念に新しい言葉が必要なのは当たり前なのだから、現在の理解率を問題にするのでなく、その言葉が広まったらどうなるかを考えるべきだとおもう。

 広まる途中の言葉は理解率が低くて当たり前で、理解率というのはどのくらい広まる途中かというだけにすぎないとおもうし、こんな表示に何の意味があるのだろうか。



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