「カナノヒカリ」 904ゴウ (1999ネン ナツ)

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新聞記事にみる日本語表記をめぐる動き〈1998〉

                                             キクチ カズヤ 


   
 昨年1年間の新聞記事をもとに、いま日本語表記をめぐって、どのようなことが問題とされているのかを整理してみた。
 記事を日本語表記に関する部分を中心に要約したものに、簡単なコメントをそえ、最後にまとめを加えた。コメント、まとめとも私個人の視点によるもの。時間の制約から、対象は「読売新聞」1紙のみとし、国字問題についての個人的見解に関わるものは省いた。
  〈用いた記号〉 
    【 】 記事の見出し
    〔 〕 発行された月/日 夕刊のみその旨記載
     ◆  私のコメント

1 進む若者の漢字ばなれ

【ルビの多用で進む?活字離れ】〔1/12〕(作家小池真理子氏のエッセー)
 「読めない字が多すぎるので、もう少し漢字を減らしてください」と書かれた若い読者からの手紙を何度か受け取ったことがある。必要以上に難しい漢字を使って小説を書いた覚えはない。にもかかわらず、漢字が多い、と感じる読者がいることに、首をひねらざるを得ない。漢字が読めない読者が増えたせいか、最近、やたらルビをつけたがる出版社が目立ってきた。ルビの多用は作品の価値を低めるし、かえって、若者の活字離れ、読書離れを深刻にするのではないか。
◆「読めない字が多すぎる」と小池氏に手紙を書いた若者たちは、相当の読書家であるにちがいない。(でなければ、わざわざ作者に手紙を書いたりしないだろう。)であれば、彼らが特に漢字の学習を怠った、ということはないであろうし、むしろ国語力は高い方であるにちがいない。そのような彼らであっても読めない字が多いという事実を直視しなければならない。
 なお、小池氏の小説にどの程度の漢字が使われているかを、調べてみたところ、「羊羮」「炬燵」「瀟洒」というような字が、かなり多くルビなしで使われており、「読めない漢字が多い」と感じられるのも無理はないように思われた。(私はほとんど読めたが。)

2 省庁の名称は漢字2字に限る?

(1)【「労働福祉省」なら署名しない】〔1/23〕
 小泉厚生大臣は1月22日、行政改革担当の小里総務庁長官と会談し、中央省庁再編後の新省庁の名称のうち、厚生省と労働省の統合で誕生する「労働福祉省」の名前を「2文字で、国民にわかりやすいもの」に変更するよう強く要求した。また、名前が変わらない場合は、法案の閣議決定に必要な署名を拒否する、と通告した。
(2)【新しい「省」の名称を考え直せ】〔2/1〕(社説)
 政府組織の改革をめざす「中央省庁再編等基本法案」の概要がまとまった。行政改革会議の最終報告のあと、さまざまな方面から新省の名称について異論が出されている。教育科学技術省は長すぎる、労働福祉省は役所の性格がわかりにくい、など。省庁の名称は、報道や通称では2文字で略称されるのが普通であるから、初めから2文字であるのが最もよい。国民にわかりやすいもの、日本の文化と伝統をふまえたものであることも必要。教育科学技術省は現在の文部省、財務省は大蔵省のままでよい。労働福祉省を労福省と2文字に略したのでは、おさまりが悪い。国会審議でも、この名称問題を議論してもらいたい。
◆この問題をめぐる論議では、省庁名は漢字、それも――「伝統」ある「大蔵省」を除いては――漢語であることが自明の前提とされている。日本の役所の名称がカナで書かれたり、ヤマトコトバであったりしては、なぜいけないのだろうか。

3 いまだにコンピューターにのりきれない漢字

(1)【漢字が足りない! JISで処理可能いまも6300字】〔2/11〕
 インターネット時代を迎えて、パソコンの日本語処理における「漢字の不足」問題が論議を呼んでいる。これまで足りない漢字を補ってきた「外字」が、ネットワーク社会では役に立たないため。日本文芸家協会の作家たちは、1月に開いたシンポジウムで、この問題に対する国民的な取組みの必要を訴えた。工業技術院では、JIS規格の「第3・第4水準」として5000字の追加を検討しているが、それでも漢字に使える漢字は2万字に満たず、10万字ともいわれる漢字をカバーするのは困難。
(2)【漢字不足解決へ新規格】〔2/23〕
 コンピューターで扱う漢字を定めた日本工業規格(JIS)漢字を約5500字増やす「第3・第4水準」の規格案が完成し、インターネットで公開レビューが実施されている。1999年2月末まで意見を聞き、同年末までに正式発表される。今回の漢字追加は、文字不足によりインターネット上の文書のやりとりに支障がでたり、地名や人名が表示できず、行政サービスにも影響が心配されるため。今回の改定で、1990年に追加されたJIS補助漢字(約5800字)は見直しとなる。
(3)【漢字コード「国際規格化」進む ネット上の文字不足に対処】〔4/15〕 インターネットの普及で深刻化したコンピューターの漢字不足の解決をめざす動きの中で、マイクロソフトの日本法人は、「ウインドウズ98」日本語版で、一般向け0Sとしては初めて国際標準化機構(ISO)の定めた「ユニコード」を本格採用することを決めた。これによって漢字コードは、ユニコードが業界標準化する流れが強まった。しかし、JIS第3・第4水準の追加を検討している日本規格協会符号化文字集合(JCS)調査研究委員会は、新たに加える字は、補助漢字およびユニコードとの重複も辞さない方針を打ち出しており、整合性をどう保つかが課題となる。現在のユニコードで使える漢字は約2万で人名・地名を網羅するには不十分。将来は 100万字まで入るが、その具体的方法についてISOでの国際的な合意が得られるまでには時間がかかる見込み。
◆JIS規格にない漢字は、いままではユーザーが、独自に「外字」を作ってて対処してきたが、別のコンピューターにデータが渡された場合、文字が抜け落ちたり別の文字に化けてしまう。これは漢字文化の危機だ、使える漢字を増やせ、というワケだが、では一体何字にすればいいのか、だれにもわからない。そもそも漢字の数は5万とも10万とも言われるが、その正確な数さえだれも知らない。コンピューターが持てあますのもアタリマエだ。専門家が必要とするなら、使えるようにするのもいいだろうが、そのコストは一般のユーザーには負担させないで欲しい。「JIS漢字第3・第4水準」の大半は、ほとんどのユーザーにとっては一生の間に1度も使わなくて済む字だからだ。

4 増える「漢字検定」の団体受験

【検定で漢字力アップ 大学入試に利点】〔5/18〕
 ワープロが広く普及し、漢字の読み書き能力の低下が指摘されるなか、「日本漢字能力検定」を通して漢字力のアップを図る学校が増えている。1992年に検定が文部省認定になってから、導入校は毎年、数百校ずつ増えており、1998年度は全国で約5000校の小中高校が団体受験を行った。学校単位での受験が増えている背景の一因には、大学や短大の中に漢字検定合格者に大して入学試験で優遇措置を取るケースが多いことが挙げられる。大学の単位として認めるところも出てきている。文部省は1994年に出した通達で、漢字検定など15種類の技能検定の成績を公立高校の単位として認める「単位認定制度」を示した。また、三重県嬉野町のように「漢字の町」をめざして町民に受験を呼び掛けるところもあり、1998年度は計13自治体が団体受験を予定している。日本漢字能力検定協会の矢森義英理事は次のように語る。「日本語の核になるのは漢字」、「ワープロに登録されている漢字は約6000字もあり、高校までに習った約2000字の漢字知識のままで漢字変換するから変換ミスをする」
◆漢字検定の志願者は、1997年度は 100万人を突破したという。たとえ学校で強制されなくても、入学試験で有利、単位としても認められるとあれば多くの若者が受験するのは不思議ではない。一方、「第3次資格ブーム」といわれ、「生涯学習」への関心も高まっている昨今、中高年の受験者が増えているのも、別段驚くにあたらない。しかし、この理事の発言にも見られる「ゆがんだ言語観」、「国語改革否定の思想」がこの検定の周辺にに見え隠れしていることには警戒しなければならない。

5 国語審議会が「表外漢字字体表」(試案)を発表

(1)【使用頻度高い表外漢字 国語審議会が標準字体試案】〔6/25〕
 国語審議会は6月24日、表外漢字(常用漢字表にない漢字)の中で使用頻度が高く、ワープロやパソコンで入力すると略字になってしまい、字体が混乱している 215字について、印刷標準字体を示した「表外漢字字体表」の試案を作り、発表した。「明治以来の伝統的な字体」を標準とし、例外的に略字をみとめる、というもの。今後、各方面から意見を聞き、2年以内に正式な「表外漢字字体表」にまとめる。
(2)【表外字試案問題 各界の意見に差】〔9/23〕
 この問題について、各界の意見を聞く国語施策懇談会が9月22日に東京都内で開かれたが、出版界、新聞社、パソコン業界の意見の違いが浮き彫りとなった。パソコン業界からは、表外漢字も簡略化すべきとの意見。新聞社は、社によって立場が異なる。朝日は、簡略字を進める立場。読売は、略字化には限界があるという意見。
◆字を簡略化しても、「伝統的な字体」(康熈字典を典拠とする)がこの世から消え去るわけではないのだから、結局は漢字の数を増やすだけである。したがって、「伝統的な字体」を標準とするのは妥当だろう。だが、それだけ言えば十分ではないだろうか。わざわざ漢字表をつくる必要があるとは思えない。この試案の前文には、「表外漢字の過度な使用は避けることが望ましい。」と書かれてはいるが、その意図にもかかわらず、この漢字表が正式に発表されれば、常用漢字表への追加とみなされ、「表外漢字の過度な使用」を助長するオソレなしとは言えないだろう。

6 自治体がカタカナコトバの見直しに取り組む

【「カタカナ言葉改善」難航】〔7/4夕刊〕
 批判が多い役所のカタカナコトバについて、半数以上の都道府県や政令市が積極的に取り組んでいるものの、判断基準はまちまちであることが7月4日までの関西学院大学の陣内正敬教授(言語学)の調査でわかった。陣内教授は、「基準のよりどころがなく、担当者の感じ方次第で決めたのでは」とみる。
◆カタカナコトバの見直しが行われるようになったのは、1997年9月に厚生省が、公文書や報告書の作成には「できる限り日本語表記が行われるよう努めること」とする通知を省内に出したことがキッカケであるが、この通知の言い方は、まるでカタカナコトバはすべて日本語ではないかのようである。だが、漢字コトバ(漢語)も、中国に起源をもつ外来語である。カタカナコトバでも、定着すれば日本語となる。カタカナコトバの見直しは必要だろうが、漢字コトバも、字を見なければわからないようなものは見直しが必要であろう。

7 漢字はまちがえやすいもの

【受験教本に誤記46か所】〔8/11〕
 厚生省の外郭団体である(財)長寿社会開発センターが発行する「介護支援専門員標準テキスト」に46か所もの誤りがあることがわかった。その中には、「肺気量」を「排気量」、「在宅」を「存宅」と誤記するなどの単純ミスもあった。
◆よくある漢字の誤り。どうして見のがされたのかは、わからないが、こういうミスがおきても、驚く人はいないハズ。「肺気」と「排気」はオトが同じ。「在」と「存」はカタチがよく似ている。まちがえても不思議はない。まちがえる人間が悪いのではなく、問題は、漢字の機能性の低さにある。

8 文部省が小、中学校の学習指導要領を改訂 しかし教育漢字の見直しは行われず

【新学習指導要領案を公表 基礎重視、内容3割減】〔11/19〕
 小、中学校の学習指導要領案が11月18日、文部省から公表された。学校週5日制が完全実施される2002年度からスタートする。学習内容をしぼりこみ、現行の「3割減」を打ちだす。しかし、小学校の漢字は読めるようになることを優先し、書くことは次の学年までにできればよい、とされたものの、「学年別漢字配当表」の見直しは行われなかった。
◆新学習指導要領は12月14日付けで告示された。これについての私の考えは、本誌4月号「これが「ゆとり」ある教育か〜減らなかった教育漢字」にまとめたので、ここではコメントを省く。

9 第22期国語審議会の新任委員と課題

【国語審新任委員に中島みゆきさんら】〔12/15〕
 文部省は12月14日、第22期国語審議会委員45人(新任21人)を発表した。新任委員には、シンガー・ソングライターの中島みゆき氏や脚本家の内館牧子氏らが選ばれた。今期審議会では、敬意表現の適切な使い方の指針をまとめるほか、ローマ字表記の名字と名前の並び順についての審議を再開。さらに「表外漢字字体表」などを作成する。
◆コトバジリをとらえるようだが、「ローマ字表記の名字と名前の並び順」という表現は適切だろうか?単に日本の人名をローマ字で表記するだけなら、名字と名前のどちらを先に書くか、などということは問題になりえない。そういう問題が生じるのは、日本(語)とは並び順を異にする文化(言語)の中で日本の人名を書きあらわす場合なのである。これは、ハナシコトバでも当然問題になることであって、文字の種類の問題ではない。

★ まとめ

 小、中学校の学習内容は3割減らすというのに、教育漢字は1字も減らそうとしない。「漢字検定」は盛況。コンピューター業界では扱える漢字を増やすのに躍起。省庁名は漢語でつけることをだれも疑わない。カタカナコトバが見直されれば必然的に漢字が増える。国語審議会は表外漢字まで――それらが使われることを前提に――自らの仕事としてとりあげる。
 一見、日本の「漢字文化」は衰えをみせない、むしろ漢字の重要性はますます増しているかのようである。しかし、その内実はどうか。
 義務教育を終えただけでは満足に母国語が書けない。高校ですら学校での正規の学習だけでは不十分で、学校ぐるみで「漢字検定」の御利益にたよる。漢字の勉強を重ねたであろうかなりの読書家も、小説を読むときには漢字に悩まされる。「漢字文化」の救世主のはずだったワープロ、コンピューターでさえ、いまだに漢字をもてあましている。官庁の外郭団体が発行する受験教本にすら誤字がある。
 漢字の機能不全はあきらかである。しかし漢字の不便さを訴える人は極めて少ない。この日本の社会では、漢字が書けない/読めないことは恥ずべきことなのである。恥ずべきことであれば、口には出せない。小池氏に「読めない字が多すぎるので、もう少し漢字を減らしてください」と手紙を書いた若者たちのことも、小池氏が新聞に書かなければ世に知られることはなかった。しかし実は、彼らこそ、難しい漢字を使わなくてもカナで書けば十分通じる、ということを知っている、立派な見識の持ち主なのである。だが、「漢字は不便」という「声なき声」が「声ある声」にならなければ、漢字の重圧から解き放たれる日は来ない。

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