「カナノヒカリ」 886ゴウ (1997ネン 2ガツ)

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カタカナ語を 非難しながら 漢語をつかうのは ムジュンだ

                                             カワイ ヒロシ 


   
  世間のひとは ヨーロッパ・アメリカ系の ことばを カタカナ語といって きらいながら 漢語については なにも いわない ようです。
  本当は どちらも 外国語なのだし、カタカナ語は 耳できいて わかりやすい ものが 多い ですが、漢語は いちいち 頭のなかで 漢字を 思いだして みなければ ピンときません。だれでも そうやって いるの でしょうが それが 習慣になって いるので 気にして いないの でしょう。
  漢語は 中国語の ほかには すこししか 共通性が ありませんが、おおくの カタカナ語は 世界の 文明国に 共通性が あります。
  それと いまは カタカナ語が はいってくる 時代なのです。
  そして もとからの 日本語が 粗末にされて カタカナ語が ふえるのなら 問題ですが、もとからの 日本語は すでに 漢語によって さんざん 粗末にされて しまって いるのです。
  その もとからの 日本語を さんざん 粗末にした 漢語を 気やすく 使いながら カタカナ語を 非難するのは なんとも ムジュン そのものです。こういうのを「灯台 もと暗し」というの でしょう。
  カタカナ語を 使わなくても いいところに 気どりで 使うのも あるかも しれません。ですが それも 漢語と おなじ なのです。
  そんな わけで わたくしは カタカナ語を 非難する まえに よけいな 漢語を 使わないように 心がけるべき だと おもいます。

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